火気厳禁 〜神酒にされたハーブティ〜
―ランス―
イスカル川がぐっと川幅を狭め、周囲の森が北国の風情に変わると、そこはランスだ。ファルスにはあった熱すぎるくらいの日差しとは違い、この町には静けさと穏やかさが似合う。そして行き交う人々も繊細で優しい感じの人が多かった。
一行は船と別れまた馬車と馬に乗りこんだが今度の道のりは遠くない。そして天文台は学者が心配していたほど寂れてはいなかった。妹のアンナが先に戻り、せっせと掃除をしていたからである。ここまで送り届けてくれたことに丁寧に礼を述べ、少しでももてなそうと気を遣ったのも、早速観測準備にかかった学者の兄ではなく、アンナであった。 「ごめんなさい、本当に無愛想で。兄はただの天文学者でしかいられない人なんです」――
挨拶はオリオールがしていたから年下のアリエンは黙っていた。でもアンナの言葉への応えは決っていて、いつかこう伝えたいと思った。 《いいえ、ヨハンネスさんは「ただの」天文学者じゃありません。わたしは大好き》
2人はまだ早い昼に町の宿兼パブに入った。お勧めだというカモのローストとポテトを注文し、オリオールはアリエンを席に座らせ、自分はカウンターで肘をつく。
「森の傍の道具屋には神酒があると聞いたんだけど?」 「道具屋? あ、昔はパン屋だったんだが、今は神酒でもうかってるな」
「神酒だけ? あれは希少品だから仕入れるのが大変なはずでしょう」
「神酒だけだよ。不思議だがね、仕入れはたしか森の――何してる人だっけ?」
店主がカウンターの客の1人に声をかけた。すぐに答えがくる。
「環境活動家」
「そうそう、環境活動家が卸しているらしい。それも黒パンと交換で」……
オリオールは謎めいた情報に頭をかいた。そして大人しく食事するアリエンを見て、デザートに名産のマロンタルトを追加。
「美味しいv」と15歳らしく喜ぶアリエン。オリオールはふっと笑ってから、部屋の鍵をテーブルのアリエン側に滑らせた。
「夜になる前に仕事を片付けるわ。迎えの馬車が来る手筈になっているから、あんたとは環境活動家を訪ねた後お別れ。どう、明日朝から1人でファルスまで帰れる? 馬車を手配することもできるけど」
「大丈夫、わたしにはティリオンがいるから」アリエンは、本来の元気さをのぞかせて応えた。
さて食後の運動として2人は道具屋まで歩いて行った。森と町の境目の三角形の敷地に立つ、へんな黄緑色の店であり、窓は飾り立てられていたが隅のほうは掃除が行き届いていない。
各町には道具屋を営業してよい数というものがある。それは需要と共有のバランスを保ち、むやみに競争して価格破壊が起きることを防ぐ目的の協定なのである。それゆえ、各道具屋は十分に道具屋としての機能を果たすという義務を負っていて、不正は許されない。店の前に来ると、オリオールは小声でアリエンに油断しないようにと注意した。
チリン。ドアを押して入ると、店には数本の不ぞろいな形の瓶が置かれているだけだ。
「はい、いらっしゃい」薄暗いカウンターから店主は一応愛想よく声をかけた。
「こんにちは」アリエンは反射的に礼儀正しく答える。 「おや、お嬢さんたち、何かご用ですかね?」今度はおかみさんが奥から言った。指には大きな指輪が4つ。主人は髪がうすく不景気そうだが靴だけは最高級品。
オリオールはいつもと違う事務的な調子で言った。
「どうも。私は各地の物流会計監査を依頼されて回っている者です」
おかみさんがはいはいと言いながら帳簿を差し出した。「聞いてますよ、はい、見てくださいな」
オリオールは帳簿をめくった。一年前前から神酒の仕入れとその売上だけが続いていて、たまにパンの記載がある。仕入れ値は妥当であり、空前の利益を上げているようには見えなかった。オリオールは神酒のサンプルも吟味し、たしかに最高の神酒であると太鼓判を押した。主人とおかみさんは満面の笑み。今にも踊りそうである。
しかし帳簿に戻り、最後のページを開いたオリオールの手が止った。
「二重帳簿か。本物のほうを見せて欲しいんですが」
「えっ! どこに不正があるんだい、いいがかりだ」 主人のうろたえようにアリエンはこの人は身に覚えがあるのだと思った。
「この帳簿はフルブライト商会発行のもので世界共通ですが、ここに」と薄い文字の年月日を示した。「発行期日を特殊インクで印刷してあります。そしてこれだと、帳簿記載が始まったのが去年の黒天の月15日。帳簿発行日が今年の緑木の月4日。意味わかるわね?」
夫婦は小声でごそごそと話していたが、主人が後ろ手にそっと棍棒を持つのをアリエンは見逃さない。慣れた手つきでジャベリンを宙に泳がせ、彼女は主人に向かってにっこりした。
「……あんたら、本当に監査の人なのか? 名前くらい言いなさい」主人はふてくされて座りこんだ。
「私はオリオール・フルブライト。ランス以北と東方担当顧問ってことになってるわ」
「わたしはメッサーナ王国のアリエン・クラウディウスです」 「ぐう」
主人は降参し、おかみさんも悔しがりながらしゃがみこんだ。
「……それで? わたしらをどこぞに突き出そうっていうのかね?」
「まあそれでもいいんだけどね」オリオールは裏帳簿を見ながら容赦なく言った。「この破格値で神酒を卸している環境活動家の家を教えて」
「森の奥にいるから、会えますとも。いんちきはあの子に白状させるがいいのよ」――
聞き出した環境活動家の名前はフィデリスと言った。去年の春ランスに現れ、エルフと自称したらしいが、誰もエルフがどんなだか知らないので信憑性もない。とりあえず森の奥の古いコテージに住み付き、術酒を売って黒パンを買うという生活をしており、害はないという。
オリオールはアリエンとともに森に入ったが、どこまで行ってもコテージは見つからない。
「困ったわね、このままでは日が暮れてきちゃう」
「オリオール、危ない!」
咄嗟にアリエンは叫んで友人を庇った。落ち葉の上に身を伏せ、轟音を立てて向かってくる敵の姿を捉える。不気味な大きさのグロテスクな植物が、トゲのついた枝葉を震わせ円形の頭部を開いてみせた。サンフラワーと呼ばれる魔物である。
「援護して!」アリエンはジャベリンで間合いをさぐり、敵がオリオールに注意を向けた瞬間、術を放った。
ボウッ。 花びらに火花が散った。落ち葉に炎が燃え広がり、敵は根元から煙を上げ、奇声で威嚇した。そしてその声に応じてさらに同じサンフラワーが3体、木々の間から擦り寄ってきた。
「アリエン、こっちは神酒もあるわ。もう遠慮無く豪快に燃やしちゃいなさいよ!」
「うん!」アリエンが次にファイアウォールを放とうとしたとき、突然奥から声が響いた。
「何やってるの、やめなさいっ!!!」
びっくりして手を下げるアリエン。サンフラワーはというと、魔物のくせに叱られて戦意喪失という体である。オリオールもきょとんとして涼やかな声の主を見詰めた。 スラリと長身で、美しい長い髪は木漏れ日の下で濃淡の金色に輝き、絹らしい滑らかな布のチュニック、細い素足にサンダルという、季節を無視したいでたち。端正な顔立ちは中性的とも言え、琥珀色の瞳は神秘性を湛えている。……そして右手にはなぜかかじりかけのクッキーを掴んでいた。
「落ち葉に火をつけたりしないでちょうだい! 秋は風も強いのに、燃え広がったら森林火災よ! これから冬眠する動物たちを焼けだそうというつもりなの!?」
「ご、ごめんなさい、モンスターが植物型だったからつい」アリエンは素直に謝った。
「サンフラワーたちはじゃれただけよ、エラノール。いちいち応戦するほどのことじゃないわ」 アリエンは面食らった。じゃれられた割には命の危険があった気がする。しかも、名乗りもしないのにセカンドネームを言い当てられた。
「あなたがフィデリスという環境活動家で術酒を作ってる方ね?」
オリオールの問いにフィデリスはせっかくの美しい髪をかきむしった。そして手もとのクッキーに気づいて口に放りこむ。
「この町の人間には私は虹を見に来たエルフですと何千回も説明したわ。どうしてそれを環境活動家だなんて言われるのだか!」
十分に環境活動をしているからだろう。2人は顔を見合わせて納得しまくっていた。
オリオールは短気な環境活動家が落ちつくのを待ってから、全ての事情を説明した。フィデリスは金銭に無頓着で、湧水で淹れたハーブティに過ぎないものがそんな高価な術酒になっているとは夢にも知らなかった。つまり、ここには極端に優れた術酒製造技術と経済観念の大幅な欠如が見られるだけである。 オリオールは、そのハーブティを売るときはこの値段が正当だからと丁寧に説明し、話の礼にとっておきのココアクッキーを差し出した。「黒い」と怪訝そうに受け取ったフィデリスだったが、一口食べてもう上機嫌になってしまった。
別れ際、アリエンがおずおずと、なぜ自分をエラノールと呼んだのかと聞くと、自称エルフはちょっと小首を傾げて笑った。
「あんまり友達にそっくりだったから。向こうの世界のね」――
「これでランスでの仕事は終わり、アリエン」 坂道を下って聖堂の鐘を聞きながら、前方に迎えの馬車を認め、オリオールは言った。「色々助かったわ、ありがとうね」
アリエンは、北国の淡い夕刻の光のせいでちょっぴり感傷的な気分になり、友人の差し出した手をきゅっと握った。
「ありがとう、オリオール。こちらこそ」
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