援軍二人
〜サヴァ、ロアーヌ王に会う〜
―ロアーヌ―

  
 晴天の秋の日、サヴァはフェリックスとともにミュルスに上陸した。道中、フェリックスは、サヴァが似ていると思われるある人について話してくれた。そしてその人を失ったロアーヌ王がどうしたか、そして自分の冒険の真の目的を。  その人というのはサヴァの養父が母親だと言い張っていた人物と同じ人であった。

 ピドナで新調したドレスがあると言うと、フェリックスは是非その姿で伯父上に会って差し上げてくれと頼みこんだ。
――会ってどうなるの? 偶然顔が似てるというだけで、色々聞かれたって私には何もできない。第一、父が避けたがっていたロアーヌ王に対して、自分は本当に礼儀正しく振舞えるかどうかも分からない。
 サヴァは言いかけたが一生懸命なフェリックスを悲しませたくなかったので、言われる通りに王宮へ行き控え室へ入った。
 そして華やかなドレスの侍女たちに囲まれ、手持ちの衣装に着替えをさせられたとき、サヴァは奇妙な既視感を覚えた。この取り巻く女性たちの美しい長い髪、ドレスの質感、仄かな香水の匂い――ありえないことだが、グレートアーチではなく、どこかで見知っている気がする。
「これ、余りにはしゃいで喧しくするから、サヴァ殿はご気分を害したのであろう、一言も口をきかれない」
 途端に周囲が黙ってしまい、サヴァは考え事を中断した。目の前では侍女たちを取り仕切っているらしい老婦人がうやうやしくかがみ、サヴァがぎこちなく頭を下げると懐かしそうに微笑んだ。
「本当に、可愛らしく美しくていらっしゃいます。王宮に初めて来られたときの、――あの方によく似ておられて」

 謁見の間は象牙色の獅子を模した壮麗な広間であり、緊張したサヴァは正装して待っていたフェリックスを別人と間違えて、フェリックスはどこですかと尋ね、大笑いされた。
「そんなに笑うことはないでしょ」きまりが悪くなってサヴァは横を向いた。
「わりぃ〜。実はオレもすっげえ貴婦人が来たと思って固まっちまった。中身がサヴァでほっとしたよ」
 2人して笑う声が消えないうちに、コツコツと靴音が響き、ロアーヌ王ミカエルが入ってきた。2人は慌てて頭を下げ、ミカエルが玉座に座るのを待った。
「ファルスでは活躍したそうだな、フェリックス。無事の帰還を嬉しく思うぞ」
「はい、伯父上もつつがなくお過ごしのようで安堵致しております。本日は、伯父上に是非お会いしていただきたく、こちらの方をお連れ致しました」
 サヴァはすらすらと挨拶の出るフェリックスをこっそりうかがった。だがそのサヴァにもすぐに声がかかった。
「うむ。サヴァというのはそなたか?」
「はい」サヴァは応え、顔を上げた。ロアーヌ王が何を聞いてきても父が不利になることは言うまいと決心を固めて。
 顔を見て、ミカエルは心底驚いたようだった。しかし、サヴァはその表情がゆっくりと悲しみの影に覆われていくのを見た。
 彼女は不本意だったし、ここへ来なければよかったと思った。サヴァを見れば、ロアーヌ王はきっと心が慰められ喜んでくれるとフェリックスは言ったが、とてもそうは見えない。
 この人は父が時々見せるのと同じ目をしている。それは多分、すごく大切なものを永久に失った人の瞳なのだ。

 ロアーヌ王はサヴァが誰に似ている、ということは一言も言わなかった。そして悲しみを抑えるようにしてサヴァに微笑みかけ、どういう生まれか尋ねても構わないかと聞いた。
「私は、海賊ブラックに拾われた養女です。難破した船の唯一の生き残りであった1歳くらいの私を、父は――養父は自ら海に飛び込み救い出し、現在まで育ててくれました」
「そうか、難破船……」ふと、ミカエルは何か思いついたらしかった。「その船の残骸には、船籍を示すものはなかっただろうか? 例えば紋章といったものは?」
 核心を突く質問だった。サヴァが黙っている間に、ミカエルは紙とペンを用意させた。
「もし、部分的にでも見たことがあれば、簡単でよい、これに描いて見せてくれまいか?」
 サヴァはペンを握り、紙を受け取ったが、結局置いてしまった。
「ごめんなさい、……紋章なんて自分に関わりがあると思ったこともなくて、絵に描けるほど憶えがありません」
 声が震えた。フェリックスは少し青ざめたサヴァを静かに見守る。そして身を乗り出していたミカエルは、そうか、と多少落胆の色をにじませて玉座に座りなおした。
 サヴァはもう物を言えなかった。この王のことを、自分は明らかに誤解していた。しかもそう気づいたのに、しっかり覚えているあの図柄を描くことを躊躇ってしまった。養父なら「はっきりしやがれ」とでも叱るところだ。きっと、このロアーヌ王にも嫌われただろう……。彼女はもうフェリックスの方も向かず、床のモザイクを見詰めて小さくため息をついた。
 ちょうどそのとき、大臣が火急の用件でデュ・ラック伯がゲートに関することでお目通りを願っていると告げに来た。
「デフィートか、通せ。フェリックス、サヴァ。ゲートが関わっている。そなたたちもここにいるように」

 2人が再度頭を下げる間に、広間の別の扉が開いてデュ・ラック伯デフィート・ラウランが入ってきた。異国の客人を連れているのでミカエルは主な家臣を呼び入れ、揃ったところで慎重に扉を閉めさせた。伯爵は王の次にフェリックスたちにも一礼し、やはりサヴァを見て驚いたようだったがすぐに本題に入った。
「陛下、お目にかかりますのは一月ぶりにございますが、火急の用件にてご挨拶は略式にて失礼させていただきます」
「うむ、早速そちらの方を紹介してくれ」
「は、こちらはかのティベリウス老師の使者、ズィール殿です。アケにほど近いジャングルから来られたのです」
 ジャングルですと、と家臣らはざわめいた。が、ミカエルがちらっと視線を泳がせたのですぐに鎮まったので、そこで伯爵はズィールに言った。
「さあ、私に話してくれたとおりに、こちらのロアーヌ王にもお話を」
「はい」
 ズィールは頭を上げた。そしてその顔を見てミカエルはすぐに誰なのかを思い出した。ズィールはミカエルの表情を見てから軽く頷き、低めのはっきりした声で話し始めた。
「ロアーヌ王陛下に申し上げます。わが師ティベリウスは20年ほど昔、ジャングルの一角に古の塔らしき遺跡を発見し、以後はそこに収められ放置されていた文献の修復と解読に没頭致しました。先だって、ついに師は最後の部分を読み解きにかかりましたが、そのとき魔物の激しい来襲が始まりました。私が応戦しようと駆けつけたときには塔は黒煙に包まれ、魔物で溢れかえっておりました。そして私は、その文献を託され、ロアーヌへと救援を求めて参ったのです。これが、ティベリウスが命がけで守りぬこうとした文書です」
 そう言って、彼は包みを開き、バラバラになりかけた古い書物とティベリウスによる解読の書を差し出した。
「伯父上、それは」と、フェリックスが思わず言った。ミカエルも受け取りながら頷く。
「そうだな、フェリックス。アンゼリカが解読しているあの本によく似ている」
ミカエルはズィールに向かって言った。
「黒煙と魔物の群はゲート開口の特徴を示している。すぐにロアーヌから兵を送ることを約束しよう。ただ、船で向かっていれば相当の日数がかかるのが問題だ。そういえばあなたはどんな手段でロアーヌへ来られたのか?」
 ズィールは一瞬押し黙った。そしてデフィートに促され、口を開いた。
「特殊な術により――私だけならば瞬時に移動することができます。私がその塔を出ましたのは、白水の月2日夜、こちらの伯爵に助けられましたのはその翌日の今朝にございます」
家臣たちは今度は遠慮なくざわめいた。ジャングルからロアーヌまでひと晩で来られるはずがない、こやつは実はぺてん師か、ロアーヌの守りを弱くして王暗殺を企てる曲者ではないのかと言い合っている。
 ミカエルが叱責しようと口を開いたとき、先にデフィートが言った。
「お静かに! この話が真実であるならば、塔のみならず周囲にあるという村もアケも間もなく壊滅するのです。ロアーヌが彼を疑うことは、そのままかの地の人々を見捨てることになるかも知れません。対アビスの義勇軍を募る立場のロアーヌが、果たしてそれでよろしいのですか?」
 そして家臣が落ちつくとミカエルを向いて頭を下げ、
「陛下、ジャングルにはわたくしが先発隊として参ることをお許しいただけますか。それならばロアーヌの防衛にも障りは少ないと存じますので」
 妥当な案だった。ミカエルは許可しようとしたが、そのときフェリックスが言った。
「待ってください、先発隊だけでも船では数日かかりましょう。――ズィール殿にお尋ねしますが、瞬時に移動できるのは1人に限られますか?」
 ミカエルはぞわりとした。甥が何を考えているか察したからである。それはデフィートも同じだった。
「フェリックス、彼は体調がまだ――」
 デフィートが言うのを、ズィールは微笑んで制した。
「2、3人であれば一緒にというのは可能です。ただし、向こうに着いてすぐまた戻ることはかないませんが」
 フェリックスはサヴァを振り返った。サヴァは脇に置いていた七星剣を握り、当然という顔つきで頷く。
「伯父上、ではこれより行って参ります。ファルスとピドナへの知らせのみお願い致します」
「援軍はどうするのだ、フェリックス?」
「はい、向こうで向こうの援軍を見つける所存です。なぜならば、ジャングルという土地で、騎兵部隊や重い鎧はおそらく役には立ちませぬ」
 フェリックスはちょっと楽しげにそう言うと、ズィールに頷いて見せた。  

 異国の客人はフェリックスとサヴァの手を取り、誰も知らない言葉で詠唱を始めた。青い光が渦巻き、段々と広間を別空間へと変貌させ、水泡のようなものが3人の周囲を円を描きながら巡りはじめる。
「フェリックス、サヴァ!」
 サヴァは、その声を夢の中で聞くように耳にして顔を上げた。光の渦の向こうにいるロアーヌ王は、不安を毅然とした態度の中に隠したままだ。しかし彼は立ち上がり、杖を取り落としたのも気に留めず、そうしてフェリックス同様サヴァにもまるで肉親に言うように、こう呼びかけたのだった。
「よいか、必ず、必ず無事で戻って参れ!」

   フェリックスとサヴァはにっこりしてその声に応じ、ズィールはミカエルに向かってゆっくりと一礼した。やがて光の粒とともに、3人の姿は跡形もなく消え去った。フェリックスはズィールの言葉を身をもって証明し、そして同時に、救援を要している場所である太古の塔へと向かったのだった。数秒後、ロアーヌ王と家臣一同の前には、いつも通りの広間の床が広がっていた。