新たな異変
〜ロアーヌ王にお目通りを〜
―ロアーヌ領内、及び、ファルス、ゲート前周辺―

 夢の中では彼は16歳の名もなき少年だった。見渡す限り赤茶けた不毛の地。戦いの後で、彼はまたしても独りぼっちだった。
 歩き始めて暫くすると、前方に黒い人影が見えてきた。こちらへ近づいてきて、その老人は言った。
――一緒に南へ行くのはどうかな? ジャングルだよ、その奥地に面白い建物があるらしい。ところで、一緒にいるのだから、通り名くらいはつけても怒るまい? そうか、ではたった今から『ズィール』と呼ぶことにしよう。これは私の故郷の言葉で「魂」という意味だ。君が誰であろうとも、その魂は君自身のものだから―――。

 そう言って皺だらけの顔で老人は微笑んだ。
 だがそれは最後に見たティベリウスの顔、最初の出会いから20年以上経った顔だ。ズィールが自由に暮らしてきた村の近くの、密林の奥地に屹立する古い時代の塔は、もう土台から毒々しい煙にまかれつつあった。その奥の聖堂を守るため、一緒に戦うと言って戻ってきたズィールに、年長の友人は言った。
「ここはこの老体ひとつで十分。お前はロアーヌにこれを持って行き伝えてくれ、ジャングルに、太古のゲートが開くと」
 ティベリウスはそうして彼に布包みを持たせ、早く行くよう促した。扉の向こうでは禍禍しい力がこれを開こうとミシミシ言わせて鍵を壊し、そして出発を躊躇うズィールの目前で扉は破られた。夥しい数の昆虫型モンスターがズィールに――包みに――飛びかかろうとし、同時に、老ティベリウスの鋭い声が聖堂内に響き渡った。
「小賢しい虫ども、貴様らの相手はこのわしじゃ!!―――」

 強烈な太陽術が宙に飛んだズィールの目に焼きついた。

「気がつきましたか?」
 目の前には淡いブロンドの貴族がひとり座っており、そして侍女が2人控えていた。西方人らしいいでたち、それに白い肌と湖水の瞳。清潔なシーツと花瓶に活けられた花、壁にかかる風景画。
 見なれた光景ではない。ズィールは急いで起きあがった。
「落ちついて。まだ体調が戻っていないでしょう。私の名はデフィート・ラウラン。ここはロアーヌ王国内のデュ・ラック伯爵家です。意識を失って葡萄園で倒れていたところを、妻が見つけたのです。・・・あなたはどういうお方か、それにあの包みの中身は一体何か、お聞かせいただきたいのですが?」
 ズィールは答える前にベッドを降りた。
「助けてくれたことに感謝します。体はもう大丈夫です。僕はティベリウス老師の使いの者で、ロアーヌ王に太古のゲートについて重大なお話があります」
 彼は、伯爵が驚いて立ちあがったのを見て、むしろ自分が落ちついてくるのを感じ、ゆっくりした明瞭な発音でつけくわえた。
「伯爵、是非とも、陛下にお目通りを」―――


 フェリックスは、はじめぽかんと口をあけただけだった。まるで人見知りのない彼にしては、殆どありえないことだ。すぐジョカルにどうしたのかと小突かれたが、目の前のサヴァはもっと怪訝な顔でフェリックスを見詰めた。
「あの、私の顔に何かついてます?」
「いや、あの、すごく……似た人を見たことがあって。その、肖像画だけだけど」
「はあ」
 サヴァは驚かない。父も肖像画を持っていた。そして、絵というものは当時の美の流行も追うので、そっくりに描かれた人物でも、本物は似ていないことがあると知っているからだ。それが有力者の絵ならなおさらだろう。  フェリックスは頭を掻きながらジョカルを向いた。
「彼女をロアーヌ王陛下に会わせたいのだが?」
「ではシャール卿に報告書を頼みたい。ちょっと時間がかかるがいいか?」
「もちろん。オレも多少は支度するから」
 ジョカルは山積した書類の中からいくつかを抜き出し署名を続けた。
「実はアリエンもオリオール嬢がランスへ連れていくと言うから許可した」
「ランス?」サヴァが不思議そうに聞き返す。
「天文台の建っている地面が地割れを起こして、もうあそこは使えないそうだ。それでヨハンネス先生を護衛してランスへ」
 フェリックスは頷く。
「それで、このゲート前は大丈夫なのか?」
「アリエンは用が済めば戻ってくる、オリオールはそのままウィルミントンに寄ると言っていたが、それでも全軍の士気が落ちるほど長い不在にはならないさ。むしろ今がチャンスかも知れない」
「でもその間、兵士たちも休めるの?」
「うん、そこはね……」
 ジョカルはふと両肘をついてそこに顎を載せた。何か待っている様子である。
 そして、待っていた伝令が来た。
「カーソン=グレイ総司令官! たった今ピドナ港に、ロアーヌからの援軍が到着致しました!」
「報告ご苦労だった」
 そしてフェリックスとサヴァを見て「どう?」という風に片目をつぶって見せた。


「せっかくゲートに来たのに、何もしないうちに移動なのよね」
 サヴァはゲートの洞窟に向かって響くように言った。声がこだましてまたしんとなる。
 ヤン・エイは当然、ランスにくっついていきたかったが、オリオールに、アリエンの力になるというには「あんたはまだ早い」と許可が下りなかった。だからヤンの頼れる仲間は今はサヴァだけだが、その彼女は出発までのわずかの暇にゲート跡地に入りこむと言い出した。ジョカルたちには内緒である。

「まずいよ。見張りの兵士に見つかったら……」
「見つかったって、どうってことないと思うわ」
 なぜだか自信があるらしい。
 やっぱり、その無鉄砲は海賊のお父上似というわけだねえ、とヤンはぶつくさ言いながらのったりとついて行く。 
「ヤン、ずんずん行けるわよ。早く」
 サヴァは振りかえって少し苛立ったように促した。
「もうそのあたりで引き返さない?」
 ヤンなりの忠告だが当り前のごとくサヴァは聞いていない。
「あ、例の穴だわ!」
 ひっ、とヤンは立ちすくんだ。サヴァが剣をくわえてゲート奥の穴に飛びこんだからである。
「サヴァ!」
 ヤンは慌てて追った。

 中は思ったよりずっと明るかった。空気は気持ちが良く風も吹いている?
 慎重に辺りを見回すと、サヴァが前方のごく小さな湖にザブザブ踏みこむところだった。
「あ、危ないよっ!」
 だって、何か出てきたらどうする! それに水そのものがまともな水じゃなかったら!

 サヴァは膝まで水につかり、にっこりとして手を振った。
「海水よ、これ。それも新しい。どこから湧いてくるのか吹き出し口を見つけようとしているの」
「そう……」
 ヤンはへたりこみそうだった。彼に構わず探索を続けるサヴァ。水は透明だが暗いので足で探っていくと、やがてサンダルの先が何か突起物に当たった。
「あった」もう、いかにも嬉しそうな声だ。
「へ?」
 ヤンが目を上げると、サヴァは水中にダイブした。
「サヴァーッ!!」
 勇者なら後を追って飛びこむべきか?
 だがヤンにはどうしてもそれができず、顔を真っ赤にして心配するばかりだった。なぜなら、彼は完璧なカナヅチだったからである。
  ・・
 ・・・
 ・・・・
 サヴァはしばらく浮上してこなかった。そしてやっと水から上がったときには目を好奇心に輝かせて、水底に古い扉のようなものが沈んでいるのを見たと言う。そうして興奮気味に喋りつづけるのをヤンはなんとか説得して終わらせ、2人してゲートを出た。
 ゲート前には3人の兵士が見張りに来ていたので思いきり見つかった。ところが彼らは叱るどころか、サヴァに向かい敬礼したのである。
「探索ご苦労様であります!」
「ありがとう、あなた方も気をつけて」
 サヴァは微笑み、敬礼を返した。

 昨夜、サヴァが天文台で野盗を相手に七星剣を振り回し、兵士たちの間ですっかり有名になっていたとは、居眠りしていたヤンは知る由もない。不審そうにサヴァを見ていたヤンは兵士たちの視線に気づき、自分も口の端だけあげて、真似して敬礼してみせた。