代理人 〜ジョカル、本陣をあとにする〜
―ファルス―
ヤン・ヒョウとジョカルは、短い会話を交わしただけですっかり仲良くなり、陣形や剣技の話に夢中になった。しかしヤン・ヒョウはなにも本陣までも遊びに来たわけではない。彼は自らピドナの軍馬を買い付けにきたのだと話した。
度重なる戦闘で馬が不足傾向にあったが、ロアーヌ・シノンでは平和な時代になって以来、増えた人口を養うため食料に力が入り、軍馬の生産が減っている。それで、少し足を伸ばしてピドナの馬を求めることにしたのである。
「一帯に火災渦と死霊型モンスターの襲撃が起きて、玄城は緊迫しています。ただし、このモンスターの襲撃にはアビスの者らしさがない、と老師は仰る。それで私は情報収集を兼ねてこちらへ参りました次第」
「こちらで得た情報については概ね文書化しております。写しを持ち帰り下さい。それにしてもそのような情勢ではヤン・エイ君をこちらに留め置くわけにはいきません」
ジョカルが言うと、東方の武人はつつましく感謝し、軽く頭を下げた。だが、再度上げた顔は弟を誇りにしている兄の表情だった。
「あの小猿はご迷惑をおかけしましょうが、是非このまま本陣においていただきたく存じます。玄城の部隊だけで今のところは敵を十分に迎撃できておりますので。それに、ああ見えて、結構役に立つときもあるかと存じます」
ジョカルは深く頷いた。
ヤン・エイは、行儀が悪いとは思ったが、兄が自分を連れ戻しに来たかと不安だったので、盗み聞きしていた。その耳をネスが引っ張る。
「痛い〜〜」 「ごめんごめん」ネスは小声で謝った。「東方でも異変があっているようだね。アケ周辺はどうなのか、気になるな……」
「アケ周辺? フェリックスの知り合いだったんですか?」
「あ、違うけど」ネスはヤン・エイの腕を引っ張り、テントを離れる。これ以上いたら盗み聞きが知れると思ったからだった。それから、「妹が、行きっぱなしなんだよね」と、彼は独り言のように言った。
ジョカルは、ピドナへ向かうヤン・ヒョウのために通行証のほかに紹介状をしたためて持たせた。かのヤン・ファン将軍の息子といえばピドナで不都合があるはずもなかったし、ジョカルも余計なことだという気はしたのだが、この新しい親友のために自分にできることは何でもしたかったのだ。
ヤン・エイはとりあえず兄を見送った。
「母上や、老師や、父上によろしく」
兄は「うん、またな」とだけ言い、いつものように頭をぐしゃっと撫でて馬上の人になった。
馬術の名手であるヤン・ヒョウは、ピドナには部下が着いているだろうからと護衛を断り一人でピドナへの道を疾走していった。そして丘を越えたところでピドナの1部隊と遭遇した。司令官は白銀の竜の姿をかたどった軽量鎧の、かなり大柄の若い騎士である。紋章のついた軍旗を一振りさせ、近づいてくる気配だったのでヤン・ヒョウも手綱をしめた。
「ファルス本陣から来られましたか?」騎士は言った。
「そう、そうしてピドナへ向かうところです。名は玄城のヤン・ヒョウ、通行証なら……」
紙を出そうとしたとき、若い騎士はにっこりして言った。 「いまどき護衛もなくこの道を来るのは野盗くずれか、本物の戦士しかいません。あなたは後者だと思うんで、面倒な紙切れはおしまいください」 「では急ぎゆえそうさせていただきます。あなたの名だけは伺っておこう」 「メッサーナ王近衛騎士団のトゥルカス・クラウディウス。又の名、ピドナの暴れん坊。それではっ」
そう元気よく答えてトゥルカスは通りすぎた。
――なるほど、彼か。西方で竜を仲間にした若者がいると噂があったが、彼ならやるかも知れぬ。
くすっと一人で笑みを洩らし、ヤン・ヒョウも片手を上げ馬に拍車をかけた。
ジョカルがその日の見回り報告を受けているとき、トゥルカスの部隊は本陣へ到着した。
「ジョカール、おーい、元気でやってんのかー?」
ジョカルは聞き覚えのある声にテントを出た。
「トゥルカス! ピドナは平穏なのだろうが近衛騎士団がここまで出向いて大丈夫なのか?」
「あははは。心配性だな、それでこそジョカルだ、偽じゃないってわけ」
2人が顔を合わせるのはジョカルが総司令官に任命され、ピドナ王宮と訪ねたとき以来である。トゥルカスは機嫌よく馬を降り、兜をとってから、差し出されたジョカルの手を力いっぱいバシと叩いて再会を喜んだ。そしてけげんそうな(実はちょっと手の痛みをこらえている)顔のジョカルに単刀直入にこう言った。
「じゃオレが来た理由を言おう。フェリックスが船出の前に父上に頼みごとをしたんだ。ジョカルをカムシーンの真の後継にさせるため、アクバー峠へ行く許可を与えて欲しいと」
「えっ……」
ジョカルはすぐには言葉が出ない。彼からカムシーンを奪い返すと言った若者のことを忘れていたわけではなかった。だが総司令官が私事のために本陣を留守にするなどジョカルには考えられないことであった。 トゥルカスは言葉を続けた。
「父上は迷うことはしなかった。オレにジョカルの留守をしっかり守れと命じて、精鋭を貸してくれたんだ。ジョカル、ピドナの港には専用の船がお前を待ってる。オリバーも向こうに用があるとかで一緒に行くそうだ」
ジョカルはまだ答えきれずにいた。ゲートは閉じたものの、天文台跡地にある振動はいまだに止らない。いつまた激闘になるかも知れない土地に、彼を信用し命を預けている部下たちを置いて行く決心がつかなかったのである。トゥルカスは、強要したくなかったのでメッサーナ女王の名は出さなかったのだが、こうなるともうじれったくなった。そして2人を取り囲んでいるすべての兵士に聞こえるように彼等のほうへ向き怒鳴った。
「ジョカルが挑戦を受けていることは皆も承知していると思う。相手をこれ以上待たせてジョカルを卑怯者と呼ばせるわけにはいかない。彼をアクバー峠へ送り出すならば、留守はこのトゥルカスがみんなと一緒に戦う。さあ、これで異議がないならそう叫んでくれ!」
はじめ周囲の平原と丘がしんとなり、誰かが力強く叫んだ。
「異議なし! ジョカルを、カーソン=グレイ総司令官をすぐにでもアクバー峠へ!」
それから一斉に盾が打ち鳴らされ賛同の声が響いた。
「カーソン=グレイ総司令官万歳! トゥルカス万歳! この決定に異議なし!」
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