毒入りチョコレート事件
〜アリエン、刺客を捕まえる〜
―ピドナ付近―

  
   ランスをたって愛馬を駆りファルスを目指していたアリエンだったが、午後遅くなって休息をとっているところへ、早馬が来た。オリオールからの書状を持った使者は、ティリオンの速さに追いつくのに半日以上かかりくたくたになっていた。
「急ぎの、重要なお手紙です。そしてこれをご一読の上、是非ともピドナにお戻りになるようとのことでございます」
 使者は手紙を渡しながら手が震えていた。急ぎはわかるが、目の前の使者がが死にそうになっているのに放置できないアリエン。彼女は傍の農家へ入って水を貰ってきてやった。
「あ、ありがとうございます。では、是非とも、お読みくださいますよう」と、少し落ちついた使者は繰り返した。
「わかりました」
 アリエンは答え、ティリオンに乗った。
 短い手紙なのでそれはすぐに読めた。そして本当に、青くなるようなことが書かれていた。
街道の辻で、アリエンは速度も落とさずティリオンをピドナに向けた。そうして、手紙にある様子の怪しい人物を前方に認め、片手で槍を抜いた。近くに林がある。逃げこまれれば見失うだろう。
「そこの人、ちょっと待ってください!」
 手紙により少し憤っているアリエンは、いつもより厳しい口調で声をかけた。相手は商人らしき小男で、アリエンを見るとさっと逃げようとした。アリエンは素早く槍で彼の袖を樫の幹へ縫いつける。ダンッ!
「ひぃっ。命ばかりはとらないでくださいっ。し、しくじりましたが次こそは……」
「しくじった?」
 アリエンは、自分が誰かと間違われていると気付き、わざと威圧的に言った。
「じゃあ、罠をしかけた相手は無事……ピンピンしたままなの?」
「はい、申し訳ありません、あの奥方のほうがすぐに怪しんで、もうちょっとでつかまるところだったんです。あの奥方、サラ・ベントですが、とてつもない白虎術使いでして……」
「それで、毒入りチョコレートは置いて来たの? 証拠になるでしょう?」
 と、アリエンはかまをかけた。これは当たりだった。
「はあ……申し訳ございません。次回こそは必ず!」
 男は、自分に命令する立場にしてはアリエンは若すぎるとも思わず、いよいよ恐ろしがって謝罪を繰り返した。アリエンは、ピドナが近いことを知っていたので、ふっと溜息をついてから言った。
「わたしはアリエン・クラウディウスです。ピドナに連行するから、やったこと、やろうとしたことをそこで認めなさい。きっと命だけはとられないと思うわ。でも黒幕の名だけはここで聞きたいわね」
 男は、そこでようやくおのれの早合点に気付いたらしかった。しかし今度は反抗的な態度をとり、殺すなら殺せ、何も白状しない、と言い張った。だがそのとき、
 ヒュンッ!
 アリエンは素早く身を伏せ、次の矢が飛んでくる前にさっと木の陰に隠れた。男はもたついて転倒し悲鳴を上げた。アリエンはすぐに男の襟首を掴んで草陰に引っ張りこむ。男のチーフには、オリオールが手紙で指摘した、鎖のマークが刺繍してある。この証人を殺されては困るとアリエンは思った。再び矢が飛んできたが、アリエンはたやすく槍で叩き落した。静かになり、少し間をおいて馬が走っていく音がして、それ以上の攻撃はなかった。アリエンが武器をしまったとき、男は草の上に膝をつき、全部お話致します、と、力なく言った。
「黒幕は、見たことがなく名も知りませんが、聞くところによると若い赤毛の女です。私は、その部下のある男に今回の毒殺を命じられました、そいつは名家の出だと聞いてますが――」
「また襲われないように、ここを離れましょう。続きは私の兄に話して」
 口封じは失敗に終ったが、それにしても誰かがこのやりとりを見ていたのだ。アリエンは警戒しながらティリオンを呼び、男を縛り上げて同行させ、道を急いだ。
 ピドナに着くと、アリエンは衛兵に、重要な事件の未遂犯人として男を引渡し、すぐにベント家を見に行った。サラが出てきて、何事もなかったことを話した。中でお茶でもと言われたが、急ぎますと答え、証拠のチョコレートを持って今度は王宮へ。
 兄のソロンギルは会議を終えたところで、ランスから戻った妹に、連行してきたあの男はどうしたのか、と優しく尋ねた。そして、事情を聞くと、あとは任せるようにとアリエンを労った。
「ファルスへまた戻るか、アリエン?」
「ええ、オリオールはしばらく不在になるし、私がそのことも伝えるつもり」
 早くも庭園のほうへ歩いていくアリエンに、ソロンギルは声をかけた。
「ティリオンを少し休ませてやれ。それから、東館のほうにオリバーが来ているぞ」
「そう?」アリエンは嬉しそうに答えて立ち去った。
 ソロンギルはその後ろを見送りながら、手もとのチョコレートの箱を見詰め、それから傍の部下に言った。
「妹がファルスへ行くときは警護を頼む。不要と言うかもしれないが、いつ狙われるかわからないのだ。今回のことで人間社会にも敵を作ってしまったからな」
「はっ」

 東館は王宮の一角ではあるが、交易都市ピドナでは新市街にある取引所では手狭になってきたので、王宮の一部を提供し利用できるようになっていた。アリエンが入っていったときは日暮れ近くで取引は終了していたので、彼女はオリバーを探して奥の窓口に近づいてみた。
 オリバーは関連先への早馬の手配で忙しそうにしていた。ツヴァイクへも、という声が雑音に混じって聞こえ、アリエンはふとコーデルを思い出した。そして窓口に立っていたオリバーがアリエンに気付いてにっこりしたので、考え事をやめ、そこにあったあめ色のソファに座りオリオールの手紙を読み返すことにした。
 手紙は次のように書かれていた。
『アリエンへ。
 急いでピドナへ行き、トーマスおじ様やオリバーを助けてください。敵カンパニーが私の名を騙り、毒入りチョコレートを届けようとしているのです。私がベント家に贈り物をするときは、そんな手土産サイズの安物は届けません。ですから、おそらくはサラおば様が変だと見抜くと思います。でもそれなりに心配だから、一刻も早くピドナへ。
 ベント家に直接の早馬も向かわせましたが、きっとティリオンのほうが速いでしょう。
 敵カンパニーの名はテント社といって、近頃、良質の岩塩を売って大儲けしている会社です。父が言うには、テント社という名も偽名で何かの大掛かりな陰謀が裏にあり、それゆえピドナやロアーヌやわがウィルミントンとも繋がりがあるトーマス・ベント社が目障りなのであろうということです。その会社が売っている岩塩には、黒い鎖のマークがついています。そのマークをつけた犯人を捕らえれば証拠になるでしょう。今回の刺客がマークを隠すこともしない程度の間抜けであることを祈ります。
 岩塩についてはトーマスおじ様が徹底調査なさるということでした。実質的にはきっとオリバーが動くことになるでしょう。
 こちらも動きがあるようなのでしばらくお会いできないと思います。オリオール・F

 追伸。情報交換はいつでも可能にしておきます。連絡先はユーステルム……」

 素っ気無く相変わらずな文章だが、彼女なりにトーマス一家を心配しているのであろう。とりあえずオリオールからの依頼はこれで終えたことになる。アリエンは首を左右に揺らしこじんまりと伸びをした。
 空は暗く、冬が近いような風が音を立てている。窓の傍に立ってみると、建物の間のわずかな空間から、港にいる船の白い帆が揺れるのが見えた。
 オリバーは用件を済ませ窓辺に近づいてきた。そしてあれはピドナの物資をリブロフに運ぶためのもので、それに自分もジョカルとともに乗る予定だと、アリエンは聞かされたのだった。
「アクバー峠の周辺を調査しなくてはいけない、岩塩の件さ」
 オリバーは誰もいない部屋でも声をひそめ、真剣に言った。
「なにか怪しいの?」
「あのあたりに塩が産出されたことは一度もなかった。それほど利益になる資源なら、かつてのリブロフかナジュも黙っていたはずはないから、記録に残らないのも奇妙だよね。テント社のやつら、何か手品を使っているんだよ」
「オリバー」不意に、アリエンは心細くなって彼の腕を握った。「気をつけるのよ」
「うん」オリバーは何か不思議な感じを受け、しかしそれでもいつものように笑って見せた。