塔を目指す
〜フェリックス一行、賑やかに出発〜
―ジャングル―

  夜が明けるとともに鳥の声が響き、濃密な霧はスッキリと晴れていった。村のどこかで小型の鶏が時を告げ、黒豚が起き出した気配がある。やがてあちこちの家から家事の始まったしるしである煙が立ち昇ってきた。
「このあたりは夜が明けるのが早いんだな。空気が澄んで気持ちいいやっ!」
 高床式の粗末な小屋、その窓と出入り口兼用の空間に立って、フェリックスは大きく伸びをした。熟睡できましたか、と声をかけようとしてズィールは黙り、微笑んだ。
「どっかで顔洗ってきまーす」フェリックスは後ろを振り返り、にっこりしてそう言うと、身軽に梯子を降りていく。ズィールはゆっくりとついていった。湧水の水のみ場を案内するためだった。

 一方サヴァは外へ出ても浮かない顔だった。コッティが奥でがやがやと何か言っているが聞こえていない。サヴァは短くなってしまった大切な剣をおそるおそる抜き、ダガーでどこまで大物と戦えるか使い方を確かめているようだった。
 「ハイ、完成。着替えなさい!」
 コッティが断定的な調子で声をかけ、サヴァを引きずって家に入る。奥でまたしてもがやがやと声がするが、コッティが上機嫌で拍手する音がし、それでどうやらサヴァは諦めたのであった。

 長老は体調が悪いので出発のとき顔を出すという話だった。朝の食事は長時間かけるわけにかないので簡素なものだったが、そのとき顔を合わせたフェリックスとズィールはサヴァのスタイルに目を見張った。ほとんど海賊一味のようないでたち。もとがピドナ有名店で仕立てた豪華ドレスとは誰も信じられない。
「う、動きやすくはなったと思うのよ」
 サヴァはコッティの機嫌を損ねないように気をつかっていた。コッティは大きく頷き、
「あんたの綺麗なダガーにぴったりのスタイルだわ。大体、海賊のお父様を持つのだから、ドレスなんかダメダメよ。らしい格好でアピールしなくちゃね」
 アピールとは誰に? とサヴァも思うが口にはしない。コッティは海賊の父を持つという生立ちにある意味夢を持っているらしい。
「ホントはね、この腕にタトゥーがあればお洒落になると思うのよ! あーあ、モウゼスの道具屋にはタトゥーシールが夏ごとに出回るのにな。サヴァは色白だからどんなタトゥーでもはっと目を引くに違いな――」
 ファッション論をぶつコッティの後ろから杖がコツンと頭を叩いた。冒険者たる3人の目にも触れない素早い攻撃。だが一同が目を上げると、そこににこにこして立っていたのは長老の奥方だった。
「コッティや、ティベリウス様捜索が目的ということを忘れてはなりませぬよ? 皆様の邪魔にならぬよう気をつけなされ」
「はい、おばばさま!」
 コッティははきはきと答え、この村の人がするのと同じ作法で奥方に頭を下げた。奥方はよろしいというふうに威厳ある態度で見下ろし、あとの3人を見渡して言った。
「コッティは根は素直でよい子です。それにそこそこ朱鳥術も使えるとのこと。この子には生命の杖を持たせます。どうぞ仲間に加えてやってくださいませ」
 そんな急な話。だがフェリックスは人懐こい笑顔で場をすっかり和ませ、そして貴族らしく、コッティと仲間を丁寧に紹介させあった。出発のとき、彼は長老にもこう言った。
「この村の貴重な人材を御貸しいただき恐縮です。必ずこの異変を止めて参ります」

   出発からしばらく、一行は村人も利用する赤土の道を進んだが、やがてその道は巨大な岩と生い茂るシダの前に途切れ、樹木は空を覆い尽くした。ここから先は方向を間違えればティベリウスを発見することも、村へ戻ることも不可能になる。
「目印をつけよう」フェリックスが剣を抜いたが、サヴァはコッティを見て目配せ。コッティは鼻歌まじりでフェリックスの目の前ですっと手をかざし、切る真似をした。
 ボウッ。
 ズィールは感心して見ていた。フェリックスは、おーと声をあげ喜んでいる。
 目の前の枝は剣か斧を使ったように見事な切り口で落ちた。そして切り口ははっきりと焦げ後が見える。
「このほうが目印として明瞭だわね」
「ね、『そこそこ』朱鳥術を使う人にはこれはできないわ」サヴァが進み出て言った。ドレスの裁断もこれでやりやがった、それで恐ろしくて逆らえなかった、とは一応心の秘密である。
「たしかに。頼もしい限りだ」フェリックスは素直に感嘆する。「だが、術を乱発していては肝心なときに術力が底をつくのでは?」
「実はおばばさまが」と、ズィールは背負った荷物を指差す。「薬作りの名人なのだ。ジャングルには素材が揃っているんだそうでね。術酒と傷薬はここに十分持参した。それにコッティの術力は並の術使いの数倍はあるというおばばさまの話だ」

 おおー!
 残る2人はまた感嘆したが、コッティは全く自慢そうにはしないで、多分目印だけなら術酒は不要だろうと控えめに言っただけである。村ではあれだけマイペース主義で仕切りたがりだったのにこの態度の違いは何やら?
 サヴァが一緒に歩きながらそれとなくどうしてか聞き出したところ、コッティは今までにない真面目な顔で答えた。
「あの村で覚えたことだけれど……ジャングルでは謙遜の精神が美徳なの。自分自身について用心深くあれ、と長老は仰ったわ。これだけ圧倒的な大自然の前では、人の傲慢さは命取りだからと」
「素敵な精神ね。私も見習うわ」
 コッティはそう言ったサヴァにちらっと微笑んで見せ、それから横を向いて独り言のように言った。「そういうの一番見習ってもらいたいのは、うちの親たちなんだけれどね……」

 たまにモンスターが現れたが、攻撃的なものだけを相手にし、フェリックスとサヴァがあっさりと倒した。コッティはズィールの案内を頼りに、次々と目印をつけていった。そして一行がぐんぐん進んでいくと、やがて目の前が少し拓けて、ツタが黒い大蛇のようにからみついた、石の塔が姿を現した。