滅びた集落 〜ジョカルとオリバー、塩の正体を知る〜 ―アクバー峠近く 悪天候をやり過ごして、村人をリブロフまで送り届けるというのがジョカルとオリバーの次の計画であった。しかし、オリバーは一面の塩がどうしても不可思議でならない。
「ロサ」オリバーは、村人の手当てを手伝う少年に声をかけた。「この塩が僕には納得いかないんだ」
「それは、ここには塩なんかないはずだと言いたいんですか?」
ロサは思った通りを口にした。それでオリバーは自分の疑念を話すことにした。
崖から下を覗いても一面、白い。無論、それも塩だろう、それでなければテント社は大規模に塩を売りまくることもできない。だが、扱っているのが天然の岩塩とはとても思えない何かが――あのテント社にはつきまとっている。
「もう少し調べたいんだ、ジョカル」オリバーは従兄弟に言った。 ジョカルは、ピドナ兵だけで一行を送り届けることは可能と判断し、数人だけを連れて先へ進むことを決めた。
「体力的に辛いだろうが、峠の東側の集落まで道案内できるか、ロサ?」
「ええ、できます。ここに連行され働かされていた者に、東の集落の人はいなかった。きっとあっちは無事なんでしょう」
「そこにセンウセルトという剣士がいるのを見るか聞くかしたことは?」 オリバーが尋ねた。ジョカルはそのことはいい、と、ロサが考える前に手を振って見せ、報告書は部下に持たせて、反対側の村へと出発した。
空は晴れて風も収まっていた。峠の東には谷がいくつも走り、馬で進む道はつづら折になっている。その向こうには朝日に輝く砂漠が広がり、北の湖に向かって上空高く飛ぶコウノトリの一群まで見える。全くの無音。神々しい大地そのものが支配する世界。
これがジョカルが初めて目にする、失われた故郷であった。もし自由な旅の途中なら彼はいつまでもその場で馬を止めていただろう。だが目指す集落らしきものは、岩肌の続く谷のひとつに見え隠れしており、責任感の強い総司令官は、父祖の地にいても総司令官のままだった。
集落へ近づくと一行は緊張を高めた。人の気配がしない。家畜の気配もしないし、虫一匹すら見当たらない。畑は荒れ果て、通りには白い吹き溜まりが見られた。慎重に調べるとそれも塩である。 「ここは無事だと思ったのに」ロサが青ざめて言った。
「テント社以外の何者かがここを襲ったんだ」ジョカルは静かに言い、馬を降りた。
「敵の気配はないみたいだが?」
「うん、それもないようだ。あっ」 オリバーが先に気がついた。ジョカルは何事かと剣に手をかけたが、オリバーが見つけたのは、壊れた小さな物置に座りこんでいる村人の姿だった。
「我々は味方です。敵はいないようだし、どうぞ外へ。ケガをしている人がいますか?」
オリバーは村人に手を貸して物置から引っ張り出した。
村人は、少ないが荷物を持っていた。どうやらここを引き払うつもりでいて、ジョカルたちの近づくのを見てとっさに隠れたのである。ロサの村とは人種が多少違うようで、耳飾や衣装には金が混じり、どこかの貴族のようにも見える。顔立ちと肌の色からいって、ゲッシアにゆかりがある者とも思われた。
ゲッシアの王家――センウセルトは何と言って挑戦してきたか。使えないお飾りと言われたカムシーンは、その言葉を証明するかのように荷物に入れてある。 ジョカルは何と言っていいか分からず黙っていた。
「助けてください、この村は全滅です。魔物が谷で生まれて下りてきたためです!」
村人の1人がついに叫んだ。喋り方が女のようだが見た目はがっしりした男。自称、王家の傍仕えだという。西方の言葉を理解するのはその人物・ニルギニだけだった。 ジョカルは目が覚めたようにはっとした。
「魔物は引き上げたんですか? 他の村人はどうしました? それとも誰かが退治しに向かったのでしょうか?」
「退治に、センウセルト様が行かれたんです。あの、精鋭を連れて……でも戻らないのです!」
「それを応援しに行きます」オリバーが弓を見せてゆっくり発音して言った。
ニルギニは激しく首を振った。「あれにはかなわない。ここにはゲッシア王家に相応の剣士や槍使いが揃っていたんですよ。それが、あの魔物にどうされたか! あなたがたは通りにある白い塊を見ましたか?」
「塩、でしたけど?」 ジョカルとオリバーは不思議に思い、顔を見合わせた。そしてすぐに背筋に冷たいものを感じた。ニルギニは2人のその表情を見て話を続けた。
「あの魔物は、呪いの術を持っているのです、その目に! 目を見た者は塩に変えられる。峠にある塩を見ましたか? あそこには見事な高山植物の緑が広がっていたんです。岩陰には昔から盗賊の巣窟がありましたし、モンスターもけものも谷に沢山いたのです。それを狩る猟師は、ロサ、君の村からもあの峠のすぐ下の谷を目指したはず」
ロサは頷いた。
「連行される前夜に、帰ってこない猟師を探すかどうか話し合いがされていました。でもきっと東の村まで行ったという人もいました。ここがこんなだとは誰も知らなかったから……」
「その猟師が姿を消したのはいつくらいだ?」ジョカルが言った。
「2週間くらい前です」
「この村が襲われたのは12日前です」
ニルギニは日数をカウントした石版を取り出して見せた。一定の日数が経っても誰も戻らなければ、彼が生存者をまとめてこの村を引き払う役目になっていたのだ。センウセルトは2度、魔物と死闘を繰り広げ、最後に谷へと向かったという。彼と部下が全滅しても村人が逃げるチャンスを残すためである。
「……」
ジョカルは黙りこんだ。日にちが合わない。センウセルトがファルスに現れたのはほんの1週間前。精鋭を連れて、彼は魔物とは戦わず、ジョカルに会いに来たというのだろうか?
「彼は、どんな武器でその魔物を2度も撃退できたのですか?」 考えてからジョカルは言った。
「地形を利用した不意打ちのおかげです」不意に、ニルギニは熱っぽく答えた。「魔物は立ちあがったトカゲのような姿をしているので、絶壁を素早く移動することはできないのです。センウセルト様は魔物を岩山に封じたいと仰いました。そして全ての盾を鏡のように磨いたのでございます。魔物はおのれの呪いで塩になるかも知れない、その可能性に賭けると」
そして、戻らず数日が過ぎていた。生存の可能性は低いが、全くゼロというわけではない。だからこそ、ニルギニたちは無防備なままこの残骸の村に留まっていたのである。
《アクバー峠に来い》
《来なければ貴様は卑怯者だ》
魔物はきっとガーディアンであろう。どうしてそれが急に「生まれた」のかも謎、その呪いで生じた塩をテント社がいち早く発見し、自在に利用している理由も謎だ。だがその解決は、熱心に探索を買って出たオリバーに任せる。自分は呼びつけられたその場所に着いたのだ。センウセルトが戦わねばならない魔物がいるならば、先にそいつをアビスに叩き返してやる。
ジョカルはいつもの白銀の剣とともに、必要になる気がしてカムシーンも腰に帯びた。
「センウセルトの部隊を救出に向かう。谷周辺の地図をお借りしたい」
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