刺客の爪 〜コーデルの新しい侍女〜 ―ツヴァイク
コーデルはほぼ傷も癒えたのでいつでも前線に戻るつもりでいたが、祖父の公爵は頑として許可しようとしなかった。妹が生存していたという話にも祖父は懐疑的だった。本音では信じたいのだが、信じると口にすればコーデルが探しに行くと言い出すのは分かりきっている、そしてそれでは彼女をツヴァイクに留めておくことが余計に難しくなるからであった。
コーデルはそういう祖父の心情を知っていたので余り強く反発する気になれず、剣術の稽古をする以外では、書庫に入って、アレク・バイカルが追跡中のひとりの魔術師について調べていた。
魔術師にはいくつか名前があるが、モレスコまたはタランテラと名乗っている例が一番多い。出身はロアーヌで、元は町医者であった。それが、何人かの貴族や商人の依頼に応えての違法な行為がわかり投獄されること数回。しかも何かつてがあるらしく投獄されてもすぐ釈放される。 ピドナ、ツヴァイク、モーゼスでも記録が残っており、パブで絡んできた酔払いに「日のあるうちに店を出ると死ぬ」と預言をしたろころ、その言葉を信じなかったその男がわざと外に出て、落ちてきた看板で即死したことがあるという。
アレクは、ツヴァイク王宮で学術書が盗難にあったとき、すぐにモレスコが犯人であると言いきった。そしてモレスコの背後にいるらしい組織を壊滅させる必要があると。
それからツヴァイクの軍船を一艦だけ借りてアレクは北に向かい、しばらくして報告書がきて、ブリザードに遭遇したときオリオール・フルブライトに救われたとあった。
コーデルはモレスコにたいした興味は湧かなかった。けれども王宮を出られないストレスを少しでも忘れるため、書庫で独りになる時間は大切なのだった。
それで、今日も午後から3階にある書庫に向かう途中のことである。コーデルは、シュ……というかすかな音を聞いた。とっさに身を翻す。
トン! 階段のてすりにダガーが突き立った。彼女の顔から20cmと離れていない。即座に、どこから投げられたのか頭で計算して窓の方と推測、相手の死角になるはずの円柱のうしろへと飛んだ。
シーン。しばらく待ったが何の気配もない。コーデルは警戒しながら手すりのダガーの傍へと近づいて行った。そのときひたひたと軽い足音が聞こえた。コーデルは素早く身を隠し、足音の主がきたところで捕まえた。
「きゃあ! あれっ、コーデル様!?」
侍女の1人だった。心底驚いたらしく、持っていたシーツとタオルをばら撒いてしまった。 「静かに」と、コーデルは厳しい顔つきで言った。「見かけない顔ね。それどこから持ってきたの?」
「あ、あの、先月から宮殿に上がりました、セリーと申します。こ、これは下の階のリネン倉庫から……」
「ここには寝室はないわ。何しにこの階へ?」
「書庫でございます。侍従長様が、コーデル様が時々仮眠をおとりになるから、奥のベッドをいつでも使えるようにしておくようにと」
セリーは小太りの赤ら顔を余計に赤くしつつ、年は同じだが身長が20cmくらい違うコーデルを見上げた。それからやや困惑気味のコーデルから階段に目をやり、今度はダガーを見つけて尻餅をついた。
「ダ、ダ、ダ、ダガーでございます!」
「それは見ればわかるわ」コーデルは慎重にダガーを引きぬいた。随分飾り気のない、刃だけで出来たようなダガーだ。
「刃に触っては駄目よ。毒が塗ってある」
「ど、毒とは!」
「静かになさいったら」
コーデルはダガーを、あとで分析させようと思いながらタオルに丁寧にくるんだ。それにしても……。ようやく立ちあがって落ちついた様子のセリーを見て、コーデルは首を傾げた。
狙われたのは間違いない。しかも、この階でということは内部にその敵がいたとしか考えられない。
「来る途中で怪しい人物を見なかった?」
「怪しい人物?」セリーはヘーゼルナッツ色の目をくるくるさせて考えている。
「見なかったのならいいわ」コーデルが言いかけたとき。
「あの、鳥なら見ました。ツヴァイクでもきっと珍しいおっきなおっかない顔の鳥です」
なるほど、巨大な鳥ならば、獲物を捕るために毒や鋭い何かを使うこともある。例えばダガーそっくりの爪に毒を塗ったようにして――。
子供っぽく間抜けな答え。
まるで用意してあったかのような明快で可能性の強い答え。 モレスコかほかの敵が刺客を送りこむならば、眼光鋭い頭のよさそうな女を侍女に仕立てるはずはないのである。だとしても、この侍女の意図は、毒とダガーを分析すればわかることだ。 「あんな鳥はたしか、ルーブ山地の麓のほうにいるんです」
まだ言っている。鳥のことも確認しておけばいい、そんな大きな鳥なら目撃者がほかにいなければ不自然である。
「書庫に行くのはやめるわ。シーツも後でいい」 「あ、はい。では鍵を返してまいります」
「……それなら、後で何か飲むものを、部屋へ」
「かしこまりました」
セリーはひたひたと小走りに走っていった。
午後遅く、ノックに応えると、セリーがココアを持って入ってきた。
「どちらのテーブルに置きましょうか?」と、セリーはもたもたと言った。
「窓際へ」
コーデルは相変わらず愛想のない調子で命じた。セリーは言われた通り、目の前のテーブルにカップを置く。ソーサーには細工を施したピンクの砂糖とクリームが添えてあり、コーデルの好みを忠実に守っていた。
「セリー・ボイド、というのがあなたの名前だそうね? 出身はツヴァイクではないとか」
「はい、モウゼスの道具屋の5女でございます」
急に身元を聞かれて、セリーは多少固くなっていた。コーデルはゆったりとココアに口をつけている。
「世界を旅したい欲求にかられて旅回りの一座に同行したりもしたのね」
「はい、芸は全く身につきませんでしたが、気ままそのものの生活で楽しかったです」
「そう」
しばらく沈黙があった。固くなったまま、お辞儀して去ろうと盆を抱えたとき、セリーに声がかかった。
「でもここでは行儀は厳しくしつけられるわ、あのこうるさい侍女頭に」
「はあ」
セリーは何か失態をしただろうかと思いながら曖昧な返事をした。宮殿に上がってみて気づいたが、侍女といえども名家の令嬢が殆どであり、残りは大商人の娘が礼儀作法を学びに来ているらしかった。平民中の平民は当然ならが浮きまくり、それなのに公女コーデルとつい口をきいてしまった。 自分はいつも「つい」だ、とセリーは思った。つい寝過ごし、つい食べすぎ、つい、身分を忘れて話しかけてしまう。肝に命じるべきだ、ついは災いの元。
やがてセリーのほうを向いたコーデルは、ちょっと毅然とした声になった。
「セリー・ボイド。ただいまから、私の傍仕えを命じます。詳細は侍女頭から説明があるでしょう」
「はいっ」セリーはいそいで頭を下げた。そして、なぜ傍仕えにしてもらえたかということよりも、コーデルがどことなくすまなさそうな顔だったのはどうしたことだろうかと、つい親しい気持ちで考えた。
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