鏡の欠片
〜ジョカル、単独突入する〜
―アクバー峠麓の峡谷―

  
  地図を広げたジョカルはセンウセルトのとった作戦を瞬時に理解した。
 村の西側にひろがるなだらかな山脈の麓は、ちょうど北国の港が入り組んだ岬を備えるのににて、細く込み入った谷が複数走っていた。魔物が現れたとき、そのうちのどれかに誘いこむことは比較的容易なはずである。
 問題は、眼光が呪いの光になっている敵の攻撃をいかにやり過ごすかだが、センウセルトは精鋭の盾を完璧に磨かせ、鏡にしてはねかえそうと考えた。そしてそこで次の問題は、その作戦がもし成功したならばかれらが戻らないはずはないし、今救援にいってそのガーディアンと遭遇した場合、どう切り抜けられるかであった。
 ジョカルは、狭い場所で戦うことになると考えて、同行するわずか18人の味方の武器を、長いトライデントや長剣ではなく、投げられるダガーとボウガンを主体にそろえることにした。幸い、オリバーは弓の名手であり、彼に後衛を任せることができる。負傷者を見つけた場合にも備えて、傷薬の類も持参し、ロサも同行することにして、ニルギニの作った通信のための火薬を筒に入れ肩に下げた。

「その魔物は、昔はここにはいなかったんですか?」オリバーが言った。
「ええ」ニルギニはすぐ頷いた。
「あのう、伝説や噂の中にも出てこない?」
「ええ、伝説にあるのは砂漠の守護をしてくれる、砂色の勇者のことくらいです」
 ロサがさっと目を輝かせた。
「アル・アクバルという、この地の神です」
 ジョカルは、オリバーが、ただ謎に突き当たって考えているだけではない様子なので気がかりだったが、その場では話を変えた。
「我々は、敵に遭遇してもしなくても、明日中には戻ります。戻らなければ、峠を西に移動し、リブロフ方面へ避難してください」
「心得ました」
 ニルギニは丁寧にお辞儀して言った。センウセルトに続き、助けに来たジョカルたちもまた全滅するという悪夢を、ニルギニは半ば覚悟したような表情であった。
「どうぞご武運を」村人たちは最後の期待を込めてジョカルたちに手を振っていた。

 ジョカルは急いでいた。どの谷へ彼らが入ったかは、その場で蹄の跡を辿るしかないが、土は柔らかめで確認は難しくなさそうだった。一番近い、南側の峡谷から調べて、3つめではっきりとした戦いの痕跡が見付かった。まだ日は高い。ジョカルは警戒するように言ってから、峡谷へと先頭になって駆け込んでいった。その後ろにはロサがしがみついている。
「怖いか、ロサ?」
「怖いです、でも大丈夫と思います」
「うん、それだけしっかりした声なら大丈夫だ」

 カッカッカッカッ……。固い山の土に変わってきた頃から、蹄の音が周囲に響き始めた。
「この音で敵に見付かりそうだな」
「でも生存者がいればその人にも聞こえるよ」
 オリバーの一言にジョカルは微笑んだ。「そうだな、たしかに」
 周囲を見回し、ジョカルは味方に並足で進むよう合図した。風が谷の間を吹きぬけ、岩のくぼみに当たってつむじに変わる。日光が遮られて外の熱気は嘘のように消え、風に当たると寒いくらいである。風に削られた山肌は奇岩となり、時々石が音を立てて転がった。生物の気配はない。
 やがて谷が狭くなってきたところでジョカルは馬を停めた。ロアが身軽に飛び降りる。だが馬はジョカルを下ろすと少しパニックになり、首を上下させながら後ずさりした。その足元に血痕がある。部下たちも馬を降りた。
「馬はしっかりなだめておいてやれ」
 馬たちはジョカルの声を聞くと大人しくなった。オリバーは弓を担ぎ、周囲を見回した。
「登り口がある。上から見下ろせないかな」
「じゃあ弓隊を連れて登ってみてくれ、オレはこのまま進む、それから」と、ジョカルは傍のロサの肩を叩いた。「ロサを同行させてくれ。通信係だ」
 オリバーは承知し、8人を連れて谷の上へと移動した。ジョカルが進んでいくと、オリバー隊は谷に沿って移動し、その姿がよく見えた。かすかに水音が聞こえるが川はなく、谷の崖の縁を、糸のようにわずかに水が流れているだけである。
「ジョカル!」オリバーは前方を指差した。

   負傷者だと聞いて、ジョカル隊は急いだ。谷底に点々と負傷者が倒れている。しかし部下がすぐ近づこうとするのをジョカルは制した。
 残念だがこういう場合、魔物の力でアンデッド化または破裂する仕掛けを埋めこまれていることがある。ジョカルは自らも剣を抜いた状態で、倒れている男に近づいた。水が飲めたおかげか、瀕死ではあるが息がある。ただし、防具も着ている物も激しい戦いで剥ぎ取られ、足首から下が急速に壊死したかのように切れていた。失血死しかかっている。
 傍でこれを見たジョカルは、彼の足首が塩にされたのだと直感した。慎重に調べてもトラップの土台にされている恐れはない。
「手伝ってくれ、ほかに生存者がいないか探せ!」
 オリバー隊は、岩山の途中にひっかかっている生存者を見つけた。そうやって探しまわった結果、11人の遺体と5人の生存者を回収することが出来たが、まだ1人いるはずだ。ジョカルは、少しは話ができる戦士の1人が運ばれる前に尋ねた。
「センウセルトはどこにいる?」
 戦士は前方の岩陰を指差した。行き止まりに見えたが、風が吹くたびに岩が転げ落ちる音がする。このあたりの岩はいつ崩れてもおかしくない。センウセルトは向こう側に閉じ込められたのだろう。
「よし……どこか入り口を探して助けだそう」
 戦士は首を振った。「そんなことをすれば君も戻れなくなる。向こうにはあの魔物がいるんだ」
 ジョカルはちょっと間をおいたが、相手の肩を軽く叩いて言った。
「だろうな。しかし、彼に呼ばれてここまで来たのだから、今引き返すわけにはいかない」
「でもジョカル、上から見ても向こうに通じるルートがあるように見えない! しかも生存者の姿もどこにあるのかさっぱりだ」
 オリバーが半ば降りてきて言った。ジョカルは唇を噛み、周辺を見回していたが、ふと、岩陰の方へ近づいてしゃがみこんだ。
「ジョカル? 負傷者を運び出していいかとみんな言ってるよ。指示してくれ」
 オリバーが言ったが、ジョカルはしゃがんでいた体を地面にペタッと押しつけた。
「ジョカル?」
「聞こえるぞ。水音の割に小川しかないのは地下に川が移動したせいだったんだ」
 彼は湿った砂地に剣を思いきり突き立てた。するとそこから、勢いよく水が噴出し、すぐにおさまった。水音が明瞭になったが水量はさほど多くもなく、内部はちょうど人ひとり入れるくらいの穴が見える。
「ここから岩の向こうへ行けそうだ」
「でも向こうから帰るときは、崖を登るしかなくなる」
「センウセルトは細身で軽そうだった。背負って上がる。ロープをくれ、ここはオレ1人で行く」
「だけど――!」
 オリバーは無茶なことを始めたジョカルをさすがに止めたかった。しかしロープを受け取った従兄弟は完全にやる気だ。
「お前がみんなを指揮して村まで届けるんだ、オリバー。それから、ロサが心得ているから援軍要請を頼んでくれ。魔物がガーディアンなら、この先にあるのはゲート。雑魚がわんさと出てくるかもしれないからな」

 そう言い終わると、ジョカルはストンと穴の中へ飛びこんだ。そして数秒のうちに水の噴出が強くなり、ぴたっと止んだときには周囲の土を崩れさせて穴がふさがってしまった。
「ジョカル!」生き埋めになったかと不安になって、オリバーは叫んだ。けれどもしばらくしてくぐもった声で「ついたぞ」というのが聞こえた。
 バクバクと音を立てていそうな心臓を押さえ、オリバーは岩に顔を押さえつけるようにして言った。
「僕も援軍として戻ってくる。それまでやられるな、約束だ!」

   ジョカルはすでに水から出て剣を構え、モンスターと見まがう奇岩に囲まれた一角を進んでいた。そして岩の間に何か強烈に輝くものを見て、彼は立ち止まった。それはセンウセルトの、磨かれた盾だった。