予想もしない敵
〜ヤンとネスの危険な観察タイム〜
―ランス=ファルス道―

  
   その日、ヤン・エイは上機嫌だった。あまりに嬉しがって、ネスが注意しないと装備品を忘れそうになるくらいだった。
 ランスの天文台からの資料を受け取りに行った馬車が、途中の丘でラセツに襲われ逃げかえった。そこで街道の安全確保とラセツ退治のためと、受け取り損ねた資料を持ちかえるという任務が、アリエン、ヤン・エイ、ネスに言い渡されたのだ。
 ネスは、途中で負傷者に遭遇したときすぐに手当てできるように、と説明されると納得して出発の支度を始めた。アリエンはというと、軽く挨拶したとき、耳まで赤いヤン・エイを見て、熱でもあるのではと驚いていた。しかしそれを他の誰かが聞きとがめる前に、ネスが出てきて、東方ではよくある体質です、では支度がありますので、などとごまかして宿舎に連れ戻った。

 秋の日は日ごとに短くなっていたが、まだ午前中だったので、一行は急いでランスを目指した。馬車にネスとヤンが乗り、アリエンは愛馬に乗って先導した。
「ファルスのゲート出現以後、ランスとファルス=スタンレーをつなぐ道はここ一本なんです」 と、アリエンは馬車の脇に寄って説明した。
「ということは途中の丘にはこれまでモンスターも出なかったのですか?」とネス。
「ずっと昔には盗賊が出たそうだけど、退治されて安全になっていました。しかも今回はラセツ……ラセツが生息するには寒すぎる地方だと思うんだけれど」
「ラセツは地下迷宮などにいるのかと思っていたので僕も意外だ」
 ヤンは焦った。アリエンとネスは真面目に建設的に意見を交わし、しかもうちとけた口調になりつつあるではないか。自分も何か言わなければ!
「あん、あ、あのう」
「どうかした?」
 アリエンが微笑して振りかえった。ヤンはその顔を見た途端に言うべきことをすっかり忘れ、今度は気まずい沈黙が来ると覚悟した。だがそれより前に、彼ははっとした。
「後ろ、危ないッ!」
 なんと、ラセツが丘の上から岩を持ち上げて投げつけようと構えていた。ブンと音がして岩が飛んでくる。ネスは馬車を移動させ、ヤンは術の詠唱にかかった。そしてアリエンは素早く持っていたジャベリンを抜いた。
「ソーンバインド!」
 ヤンの声と同時に岩を無数のツタがとらえる。だがそれでも岩には勢いがついていてツタのネットの間ですさまじい回転を繰り返した。ネスが自分も術を、と構えたとき、アリエンのジャベリンが岩の中央に突き立った。
 メキ、メキ……ボロッ。
 岩は街道の真中で、山崩れを起こした状態になり停止した。
「ありがとう、助かったわ、ヤン君」アリエンは槍を回収して礼を言った。
 ヤンは耳まで赤くなりながらちょっと頷くだけである。ただ、ネスはもっと冷静だった。
「ラセツの姿がないね。丘の上に戻ったのだろうか」
「そうね、岩を投げたくらいで攻撃をやめるなんておかしいわね」
「しかも……この道をふさがれてしまった。仕方ない――」
 ネスは馬車を降りて言った。「ラセツはここにいるとわかったわけだから。君、1人でランスまで行ける? そしたらここにヤンと僕が残ってあのラセツとこの山崩れをどうにかしよう」
 ヤンは再び焦った。君だって!? アリエン・クラウディウスに向かってこのへっぽこ玄武術士は君呼ばわりしているではないか。
 そんなヤンを全く気にせず、アリエンは首を振った。
「行くならみんな一緒、残るのも一緒がいいわ。それに白状するけど、私、このサイズの馬車を操作したことがないの」
 そこへ、あのう、と馬車の奥から声がかかった。ランスから商売に来ていて帰りそびれていた夫婦であるが、3人はこの便乗夫婦の存在をすっかり忘れていた。
「馬車なら私どもが動かしますわよ。また襲われないうちに馬車だけでもランスへ行ったほうがいいんじゃありませんかね?」
 アリエンは、自分たちのことしか考えないその言い方にカチンときたが、民間人はやはりモンスターが恐ろしいのだし、感じ悪くならないようにつとめなければならないと思った。しかし彼らの顔を見ると、アリエンはやはり鋭い口調になった。
「一度お会いしましたね、道具屋さん?」
「あはは、そうでしたかしら」おかみさんは大げさに笑った。「ねえ、あんた?」
「覚えないねえ、こんな素敵なお嬢さんにお会いしたら覚えていると思うがねえ」
 時間の無駄だ、と、アリエンは溜息をついた。あとの2人ももう決心を固めていたので、アリエンは馬車とともに先を行くことにした。
「用が済んだらすぐ戻るわ。日没までにファルスに戻りましょう」
「決まりだ。じゃ気をつけて」
「あなたたちも気をつけて」

 馬車の夫婦はそれ以上待たずに動き出し、アリエンは残った2人に手を振って駆け去った。取り残されて、ヤンはしょんぼりしている。
「あのラセツは様子がおかしいと思わないか?」
「思うー」やる気のない返事。
「まずはあいつを倒しておかないと。ラセツは強敵だから僕の手に負えないよ。手伝ってくれるよね?」
「うんー」
 ヤンは結局、ネスの言い分が完全に正しいので従わざるを得なかった。ネスは、ラセツほどのモンスターが傍にいたのに全然殺気がなかったのは変だ、岩を投げて逃げ去ったのは変だ、と力説したが、ヤンはその理由など思いつくはずもない。生返事をしながら、ネスに引っ張られて丘を上った。そして丈の低い藪を抜けて頂に近づいたとき――。

「「これは何なんだ!」」2人は同時に叫んでいた。
 丘の平坦になった場所にラセツの死体が干からびた状態で横たわり、その周囲に、30cmほどの小さなラセツが数百匹わらわらと動き回っていたのである。
 ヤンとネスは30cmのラセツ大軍に備えて攻撃の構えに入った。ところが彼らは2人には目もくれず、何かうなりながら自分たちで戦いを始めたのだ。その戦いは本気であり、見ていると倒れたラセツはとどめまで刺されている。生存競争なのか、小さなラセツたちの戦いは傍にいる者を倒しては相手を探すという具合で、際限なく続いた。
「あの大きなラセツはきっと寿命だったんだね」切なくなったようにヤンが言った。
「うん。それで攻撃力も殺気もらしくなかったんだね」
 ネスは術の構えを解いて、少し離れて戦いを見守った。ヤンも同じようにした。そしてしばらくして、ポツリとネスが言った。
「生き残ったやつらだけ、ちょっとずつ大きくなってないか?」
 夥しいラセツジュニアの死骸が山を作っている。そしてそこからむくっと現れた数匹の猛者は、もはや最初のかわいいサイズではなかった。2人は少しずつ後ずさりを始めた。
「つまりチャンプが一番強いし大きくなる……」
「ということは?」
 2人は顔を見合わせた。
 背後に大きな禍禍しい影が迫っている。
「グオオオオン!!!」
 耳がちぎれそうな咆哮が丘一帯に響いた。そして振り向いたヤンとネスの目の前には、寿命の尽きた先ほどのラセツとは比べ物にならない、兄弟の血を浴びて最強となった巨大なモンスターの姿があった。