氷原の戦い 〜オリオール、呪いの詩人と遭遇〜 ―氷湖―
オリオールの乗った船は吹雪を避けて一夜を明かした。暖房のために燃料を相当消費したので何事もなければ引き返す予定であったが、夜警に報告を受け、夜明けとともに前方をかすめたあやしい船影を追跡し始めた。 船は氷の塊に衝突し、何度も傾いだ。
「おっとっとっ」
船首にいたオリオールは、梯子を降りようとして足を滑らせた小柄な夜警の1人の手を掴んだ。
「まだ寝てなかったの、アーシュラ? ここはいいから、休めるときに休んだら?」
アーシュラと呼ばれた夜警は、乱暴な手つきで防寒フードを引き摺り下ろし、オリオールを見てにっこりした。全く疲労の色がない、10代後半の少女の顔だ。
「あの船、まずまちがいなくテント社のだわ。とっつかまえるまで休んでなんかいられない!」
「だからー、つかまえたら呼ぶから寝てなさいって。それにねえ、あんたに何かあったら、キドラントのご両親に何をされるかわからないのよ?」
オリオールはむくれるアーシュラをつかまえ、下へと押し込んだ。
「絶対、呼んでよ!!」船倉から怒鳴り声が聞こえた。 オリオールははいはい、と答えてそのまま船首の船長の横に滑りこんだ。
「いいところへ来た、お嬢さん」と白い物が髪にまじっている船長は言った。「オレは北の海で船を操るのは慣れっこだが、ここには未知の怪しい力を感じる。氷の様子がどうにも……まるで生き物みたいだ」
「そう」オリオールは厳しい表情で応えた。
船長の不安はもっともだった。兵士は精鋭ぞろいではあるが、周囲は分厚い氷が浮いていて、今にも封じ込められそうなのだ。視界の悪いのも問題だった。霧にしては、水気がなく色も黒ずんでいる。
「前方にまた見えます!」デッキで声がした。「夜明けに見た、あの船です!」 船長はその声を聞くと、オリオールに向かって頷いた。「敵がそこにいるなら話は別だ。行きますぜ」
「いいわ、あとはこちらでやっつける」
オリオールは答え、デッキに素早く戻った。
霧はどす黒く、気温がさらに下がっていた。毛皮のジャケットの下でオリオールは思わず身震いし、それでも前方の敵を確認するため望遠鏡を受けとって覗いた。
「え?」
彼女の反応に、ユーステルム水軍の兵士が頷いた。
「そういうことです。あの紋章はツヴァイクのもの。昨日遭遇した船が追っているのは事実でしょう。しかしながら、――」
「いいたいことはわかるわ。でも証拠はない。ツヴァイクの船を強奪していったとも考えられるでしょう」
後ろから別の兵士が叫んだ。今度はもっとおびえきった声で。
「あ、あれは何だ!!」
オリオールたちが振りかえると、氷原の中央にどす黒い煙がたちこめ、その奥に真っ黒な穴が出現していた。目をこらすとそこから何かうごめき、出てこようとしているのがわかる。
予想もしない場所に出現したアビスゲートを目の当たりにし、乗組員は動揺した。最新式の武器があるとはいえ、たった一隻の探索用の船で、ゲートひとつとは渡り合えない。オリオールは船長にすぐさま撤収するように命じ、船は全速力でもと来た水路を引き返し始める。ところが。
メキ、メキメキメキ!
異常なスピードで周囲の水が凍結し始めた。解氷システムでどんどん砕きながら進んだが、凍るスピードが速すぎる。船は周囲を氷に取り囲まれ、せりあがってくる氷柱に押されて大きく左に傾いでしまった。
「オリオールさん、氷でゲートのほうまで道が繋がりました。モンスターがここへ到達するのは時間の問題です」それほど慌てずに兵士が言った。
「引きつけて確実に倒すのがいいでしょうね」
「はっ」兵士は後方に向かって命じた。「戦闘準備! モンスターに備えろ、船を渡すな!」
オリオールが船倉の鍵を開けたので、そこでアーシュラが飛び出してきた。手には体に全く不似合いな大型の槌を握っている。
「敵に追いついたの?」アーシュラは目をらんらんと輝かせた。
「うーん。正確にいうなら、取り囲まれたようね」
「氷をぶったたいて割ればいいの?」
氷の上を走ってくる黒い群を見てから、繊細な色白の顔に全く不似合いな言葉でアーシュラは言った。
「そんなとこ」
「よし!」
アーシュラは槌を振り上げ、迫ってきたボーンドレークの体めがけて振り下ろした。骨だらけの魔獣はたちまち砕け散り、一瞬ひるんだ仲間は割れた氷の間に次々落下、オリオールも白虎術で氷を割り、数匹のロトンビーストを沈めた。
割れた氷で船が少しだが自由になる。すかさず移動し、ゲートから離れ、追って来る敵を撃退し、また遠ざかることを繰り返した。船の勢いは弱いのに、なぜか氷は前方だけ次々と割れた。
「どうにかなりそう、船長?」
「しなくってどうする」
船は見事に氷の罠から脱出した。黒い霧も大分薄くなったように見える。それにアーシュラの奮闘は、乗組員を勇気付けていた。氷の間にはぽつぽつと黒っぽいモンスターの遺骸が浮いている。
オリオールはそこで気がついた。
こんな氷の湖で、なぜ骸骨系ばかりなのだろうか? そもそも骸骨系は、普通の死骸に邪な意思が乗り移り、動き回るようになったモンスターのはずである……。
デッキで後方を見ていたオリオールの視界に、霧を通してやがて一人の人影が見えた。そうえいばボーマス社の船はこの先に行ったのだから、ゲートの魔物にやられてしまったのかも知れない。ということは、生存者?
船は減速し、氷点下の寒さの中をゆうゆうと歩いてくる魔術師の姿を確認した。そしてオリオールはその灰色のフードと特徴ある歩き方を見て憎々しげに呟いた。 「モレスコ」
その男の顔は資料で見てよく知っている。ロアーヌ出身のお尋ね者、ツヴァイクの影の科学者、ピドナの女王に面会を求めて拒まれ、傍に立っていた若い兵士に遊びのように詩をきかせ、その場で殺した張本人。それに何より、先だってアクバー峠の調査に行ったオリオールの友人にも、おかしな古い詩を聞かせてその後狂死させた犯人だったのだ。古代の魔法の書物を手にしたこの魔術師にかかれば、ないはずのゲートを出現させ、別地域の魔物を召還することも可能だと言われていたが、事実その通りになっている。
「モレスコ! さてはテント社の黒幕というのは――」
その声に、魔術師兼預言者はせせら笑った。
「そんなことを知りたがっていたのかね? それでこんな氷湖まで? ご苦労さん、それは半分は当たっている。半分ははずれだがね。しかしその船はもう逃げられないよ」
モレスコは術を詠唱しはじめた。させてはいけない! 船からいっせいに弓が放たれるが、モレスコは見えない盾に守られているようだった。アーシュラがそれならとモレスコのいる氷に繋がっている部分を思いきり割るが、モレスコの足元で亀裂は止ってしまった。
そして逃げようにも船は再度固まり始めた氷に行く手を阻まれている。
「これでおしまいだ、オリオール・フルブライト。アデュウ」 モレスコはフードの下で黒い笑いを見せ、ゆったりと立ち去ろうとする。そしてその後に氷の峰が生じ、船に向かって突進してきた。氷が当たったとき、船は老人の悲鳴のような音を立て、ゆっくりと右に傾いた。何人かが水に投げだされ、途端に現れたモンスターの群に呑まれた。しかも今度はドラゴン系もいる。つまり空からも降ってくる。悲鳴と小型砲の轟音が氷原に響いた。
ところがオリオールが目の前に来たブラックドラゴンに攻撃をしかけようとしたときだった。船がつかまっている氷が底からグラリと揺れて、ちょうど船底あたりから声がした。
《待って、ブラドン、人間を襲ってはいけない!!》
《なに? その声、ひょっとして……?》
オリオールは手を止め、そのドラゴンを見詰めた。
ドラゴンはきまり悪そうな顔をして、デッキの手すりに舞い降りる。術に惑わされていた上に対話を人間に聞かれたことはなかったので気恥ずかしかったらしい。 オリオールはクスッと笑った。
「さっきから氷を揺らしてたのあんたね? このドラゴンはあんたの知り合い?」
《えっと、そう。ぼくの、恩人のブラドン。やっつけないで欲しい》
アーシュラや部下たちは、この対話が聞こえないのでオリオールが1人で喋り出したと思い、驚いた。
「あのう、誰かいるの?」 「いるみたいね、氷の下に」オリオールは、モンスターに呑まれたように見えた兵士たちが無傷でデッキに上がるのを確認し、くつろいだ様子で言った。
「それで、襲ってくるモンスターはどうしてくれるのキミ? かれらが術にかかっているとはいっても、私たち、黙ってエサになる義理はないんだけど」
声の主はしばらく考えるように氷をフラフラと揺らし、やがて決然と答えた。
《そうだね。ぼくが引きうける》
|