竜の咆哮 〜登った塔をまた降りる〜 ―ジャングル―
塔の上で、フェリックスは再度振りかえった。竜の咆哮を聞いたのは気のせいと思ったのだが、2度も聞こえたのだからこれは本物だ。それも悲しそうな、または悔しそうな声だった。
「どうかしたのか?」
ズィールに言われてフェリックスは一行に追いついた。塔の上は思ったよりずっと広い。 「ヴィマータというのは、ドラゴン族ですか?」 「本にはそうあった。もとは、炎を吹き出す巨大な剣を操る戦士だったという言い伝えとともにな」
ティベリウスは静かに答えた。 「みんな、疲れているだろう、少しの間、ここに結界石を張り巡らせる。大きな戦いに備えて欲しい」
「はい。それなら」
と、フェリックスがサヴァのブラッディソードのことを説明した。
「誰か親しい者の血を吸わない限り、装備として外せない剣だな」
「だから、そんなことさせない方法を知りたいのよ!」これはいうまでもなくコッティ。
「うむ」
ティベリウスはコッティの攻撃に全くたじろがなかった。ズィールとフェリックスに結界石を使わせ、ドーム状の白っぽい幕が張られるとその中にうつるようサヴァを促した。そうしてそのままサヴァの手元を慎重に調べ、剣を吟味する。それからサヴァの、変化した七星剣も丹念に調べた。
「あの、……」サヴァはおずおずと答えを待った。
ティベリウスは眉間に皺を寄せていたが、その表情をふわっと緩めてサヴァに優しく言った。
「心配しなくてよろしい。とても、不思議なことだが……そちらの短剣が護符になっておる。右がふさがるならば左手にバックラーではなくその短剣を装備しておきなさい。次の戦いでブラッディソードの呪いは解けるだろうよ。仲間がそのために傷つくというわけでもない、ただ――」
「ただ?」一同は次を促した。
「何か大きな存在が身代わりになってくれる。そのとき悲しい経験をするかも知れない。それが何かはわからぬが」
サヴァはそれでも不安そうに大きな目を見開いて老師を見詰めた。
「大変な緊張が続いているようだ。少しの間だけでも休んでおきなさい。これだけ強い仲間がいるのだ、きっとなんとかなるとも」
「はい」
サヴァは答え、装備品を整えにかかったが、晴れ晴れとした気持ちにはなれなかった。七星剣が縮んだことも、呪いの剣をつかんでしまったことも、サヴァには、ロアーヌの城での自分の嘘が原因のように思え、それらがつながっているはずがないと理屈で考えようと頑張っても、ちっとも否定しきれないのだった。
30分ほど経過して、結界石が緩んできた。北国の室内のようだった空気がもとのジャングルの湿度にとってかわられ、そろそろ傾き始めた日差しがまともに目を射てくる。
ティベリウスは、塔の南端まで一行を連れていき、そこでゆらゆらと浮いている、術による封印をはらった。奥には、ツタが這いまわる暗いトンネルが見えている。 「これはどこに続くのです?」 ズィールが尋ねた。「歩いて通ることはできそうにないですが」
「かつての火術要塞に続く、地底のもっと古い一角に通じるはずだ」
「それは?」
「見届けたわけではない。本を信用すればの話だ」
「また、本ですか」フェリックスが呟いた。しかし視線を感じて、彼はすぐに言葉を継ぐ。「批判しているのではありません。実は妹がネメシスの書の解読をしているのです。その本とゲートはこれまで直接には関係していなかった。けれどここがもし本の通りの構造になっているならば、あの本は、これからの戦いの全般に通じてくると思ったのです」
「本をロアーヌに送ったのは的外れではなかったようですね」
ズィールが言うとティベリウスは大きく頷いて見せた。フェリックスは一同を見回し、にっこりして入り口に手をかけた。 「歩けなくてもこれなら滑り降りれるみたいだ。さ、行こうぜ!」
彼は躊躇うことなくトンネルに飛びこんだ。少し驚いたようにズィールが続き、ティベリウス、サヴァと飛びこんだ。コッティが、「せっかく苦労してここまで登ったのにまた下りなのぉ?」と愚痴る声が響き、それで全員がトンネルに吸いこまれた。
中は薄暗かったが全くの闇ではなかった。トンネルはツタのせいなのか丁度いいくらいに湿って、滑り降りる速度が速い割りに体に負担がなく、気持ちのいい緑の香りに包まれている。とてつもなく長い樹木の、滑らかな木肌を滑る感触だった。
「イヤッホーウ!」
とうとうフェリックスがそんな声を出した。目の前が急に明るくなり、出口に体が放り出される。
ストンッ!
軽い音とともに柔らかい石の上に飛び降りた。あとの仲間も続く。フェリックスはほんのりと明るい地底の空間を見回した。何かたくさんの生命がうごめいていた気配はあった、だが今は、モンスターの影も形もない。ティベリウスとズィールは顔を見合わせて頷きあった。 何者かが、ここに封じられていた昆虫モンスターをわざと地上に放出したのである。もちろん、その目的はわからないし、どれほどの術力をもってしても、一人の術士にはできない仕業に思われた。けれども、とティベリウスは思う。
このゲート開口にはアビスよりもむしろ、ごく普通の、人為的力が感じられる。
「サヴァ、見覚えがないか?」フェリックスは空間を一通り見回して小声で言った。
「あるわ。ここはまるで――」
そこはファルスのゲートの奥にあったものと良く似ていた。石柱があったところには地上までつき抜けているであろう樹木が立っている。整然と計画的に造られたような通路があり、安全にここへ辿りつけるトンネルがあった。目の前には鏡のような湖が広がっている。 ファルスの湖は海水だった。この湖はよく見れば、青白い炎を湯気のように燃え立たせているのが大きな違いだ。
不意に、その炎が動いて漣になり、これを観察していたコッティが異変を感じ取って声を上げた。
「ここは、完全な留守というわけでもなさそうよ、皆さん」
「だろうのう」ティベリウスが応じた。
その声に、一同は即座に武器を構える。薄明るかった空間は、段々と熱と赤い霧に包まれていき、そうして巨大なドラゴンの影が、その赤い霧の中から浮かび上がってきた。
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