呪いの歌、癒しの歌
〜ゴールデンドラゴン・ベルヌイ〜
―氷湖―

 オリオールとアーシュラが黒いドラゴンに乗って自分を追ってくるのを、モレスコは平然と眺めていた。氷の上に一層強い風が吹き抜けた。
「あの男の近くまでいきなさい」と、オリオールはブラドンに命令する。
「それで、降ろすのか? だよな?」
 ブラドンは呟いた。降りてくれなければ重くて困る。何しろアーシュラが軽がると抱えている槌が並の大きさではないのだ。
「降ろさなくていいわ、すれ違いざまに一発お見舞いするんだから!」
 と、アーシュラも、今やなぜかドラゴンと会話している。
 これを迎え撃つモレスコは術の構えである。
「なにか打って来る!」ブラドンは逃げ腰になるがオリオールは有無をいわせず、
「ドラゴンでしょ、かわしなさい!」

 ドーンともゴーンともつかない音が響き、モレスコの両手から黒っぽい気体のかたまりが発射された。ブラドンの左の翼をかすめたそれは、前方の氷柱に当たり、小さな城くらいの大きさのその氷柱を木っ端微塵にした。
「隙ありぃぃぃっ!!」
 アーシュラの槌がモレスコのすぐ手前で勢いをつけた。
 ズガーン!!
 一面に見えた大きな氷が数メートル奥まで割られ、周囲の水辺に凄まじく波が立った。モレスコは術でスッとかわし、数メートル先の氷上にいる。 そしてモレスコはアーシュラを見ながら本を取り出した。
「クソジジイ、説教はたくさんよ」
 氷にひらりと降り立ったアーシュラは今度はボウガンを構える。そのとき、本が開かれ、内部から紫色の光が漏れ出した。
「アーシュラ、下がって!」オリオールが叫んだ。
北国の勇者の娘、
正義と冒険に憧れ、
よくよく親しかった氷の
悪意の罠に――


 麻痺状態になったアーシュラの足元をメキメキと亀裂が走ったが、途中で止った。
 モレスコはキッとオリオールとその後ろのブラドンを睨む。オリオールは術をアーシュラの足元に当てて、氷そのものに与えていた詩の影響を止めたのだった。同時に、ブラドンの炎がアーシュラを正気に戻らせた。
「なかなかやるな。ドラゴンを手なずけるとは」
 手なずけられたわけじゃないんだ、と、呟くブラドン。助けてやったアーシュラに「熱いじゃないの」と小突かれてモタモタと下がる。
「しかし、船はどうしたね? 大富豪でも凍死するときはするのだぞ」モレスコは言った。
 オリオールは肩をすくめた。「ご心配どうも。でも信頼できるクルーばかりなの。それに、あれを見たら?」
 モンスターの群は、船を取り囲んでいた。そのすぐ傍の氷の穴から、金色の微光があたりを明るく照らした。
「ぼくは、ここの氷の中にずっといた黄金の馬だ。みんなと仲間だよ。そう言っても覚えていないと思うけど、この歌は知っているだろうから歌うことにする。ぼくの背中で戦った太陽の乙女エラノールが、とても好きだった歌だよ」
 そう、甘えん坊の少年のような声が語りかけ、やがて歌い始めた。

「♪冒険の旅はどうだった?
世界の果ての海で白い鳥に遭えた?
竜の守る岩穴で 
金貨と宝石は見付かった?
剣が折れ、足も重いなら
おかえり おかえり

 モンスターたちは、大人しくしていた。攻撃をする兵士もいない。モンスターも、人も、同じ方向を向いて、日向ぼっこでもしているような寛いだ面持ちになった。その視線の先では金色の微光がくるくるとリズミカルに回っている。
 たしかに引きうけてくれたみたいね、とオリオールは呟く。歌は続いた。
「♪日溜りに雛菊が咲き
夜は星星が語り合う
そんな谷間にある家の
暖炉にはいつも暖かな火
おかえり ようこそ
君のお家に

 モンスターたちは、キラキラとした太陽の光を浴びて、本来の生きていたときの姿に戻った。兵士たちも武器をおさめ、気持ち良さそうに去っていくモンスターを見送る。

 モレスコは驚いたらしい。そんなはずはない、と口だけがパクパクと動いている。
 その背後に、オリオールが立っていた。
 ガシッ!
 オリオールは物もいわずに栄光の杖を振り下ろした。モレスコは素早く受けとめたが、不意打ちだったので額に傷を負い、血が流れ出した。
「お前のへぼ詩を聞かされて死んだ仲間の無念さを思い知るがいいわ!」
 打ち合いになった。アーシュラは退路を叩き割り、オリオールは容赦なく突き続ける。ズゴッと肋骨が折れる音がして、モレスコは氷の上に滑った。魔術師は接近戦に弱いのが普通である。このときのモレスコも目に血が入ってからかわしきれなくなっていたのだ。
 いよいよ追い詰めたとき、オリオールは最強の術をからめて杖を構えた。すると、モレスコはまるで師匠が弟子の成長を喜ぶかのように頷いて、無防備に両手を広げた。
「なるほど、お前には詩心がないからな、詩を聞かせても効かないであろう。だが、大抵のものには想像力がある。思い出を懐かしむ気持ちや、心に眠っているだけの願望は、想像力によって甦るのだよ。私の本には、この世界の最後の歌までが載っている。運命は自由に切り開いていけるように見えて、実は最初からそういう風にしか切り開けないのだ。お前の得意ないい方をすれば、プラスマイナスゼロ。つまりお前がここで勝ったツケは世界のどこかで誰かを弄ぶ。むなしいことだ。
 せっかくだから教えてやる。テント社の黒幕にはツヴァイク貴族が関わっているとな。かれらは名家の出なのに公爵からないがしろにされて謀反を企み、ツヴァイクに恨み骨髄のマグノリアを利用しているのだ――さてと。これでお前さんがプラス3くらい稼いだ。じゃあ例えば、お前のあぶなっかしい弟分は無事だろうかね?」
「なんですって!?」
 オリオールは青ざめ、思わず我を忘れて叫んだ。集中力がそがれて攻撃の手が一瞬遅れ、その隙にモレスコは術で掻き消えた。
***
 リブロフ郊外の隠れ家のような屋敷で、サーバル猫と遊んでいたマグノリアは、目の前に血まみれのモレスコが出現すると、嫌そうに眉をひそめた。
「氷湖の計画がしくじったようね? そんなの最初からあんたが実験したがってただけだからどうでもいいんだけど。まあ、あんたが身ひとつで逃げ帰るくらいだから、その女実業家はそこそこやるとは覚えておくわ」
 マグノリアは冷淡な言い方でそれだけモレスコに浴びせ、なぜさっさと部屋を出ないのかという顔をした。
「たった今、本に新たな歌が浮かび上がったのでね。それがどうもあんたを指すようだから。聞くかね?」
 モレスコが真面目に言ったので、マグノリアは馬鹿馬鹿しそうに笑った。
「新しいの? ふうん、聞かせたいなら歌えば?」
 モレスコは本を開いた。
赤き髪の復讐鬼
世界の敵となれ
何千の兵士と大砲
何万の海軍と勇者の剣
それどころか神々と戦うことになろうと
かすり傷ひとつ負うことはない
――ただひとり、
日溜りに咲く雛菊を
思い出すことさえなければ

 マグノリアはつまらなさそうに溜息をついた。猫も一緒になって伸びをする。
「条件付で無敵って、よくある話」
「この雛菊のところは、氷から出てきた金色の何者かの歌にもあらわれる。……気をつけろよ」
「じゃ、春には原っぱを歩かないようにするわ、ねえ、ミンレイ?」
 廊下に出たモレスコはドアをゆっくりと閉じ、苦々しい顔で首を振った。
***
 その後船に戻ったオリオールは気を取りなおして帰港することに決めた。その出発の前にブラドンとともに歌の主を見ようとデッキに戻り、そして氷の浮かぶ水面を覗きこんだときだった。
 バキバキバキ。
《うわっ》
ブ ラドンが慌てて飛び下がった。オリオールも驚いて、湖から姿を現した相手を見上げる。馬だと言っていたが、これは竜だ。見事な翼とがっしりした足を持ち、爪までも黄金に輝く、ゴールデン・ドラゴン。
「とうとう出られたよ、ブラドン」
 ぐわっと開いた翼の大きさと迫力を目の当たりにし、ブラドンはあっけにとられて口がきけない。アーシュラはケラケラと大笑いしている。もちろん船の連中は大騒ぎになっていた。氷湖に浮かぶ船がいやに小さく見える、その巨大な金色の竜は、騒ぎを見下ろして楽しそうにくすっと笑った。
「こんにちは、ぼくの名前はベルヌイ」
「そう? よろしく。私はオリオール・フルブライトよ」
 オリオールはいつもの習慣で握手の手を出していた。子供っぽい瞳で不思議そうに彼女を見詰めるベルヌイ。
 オリオールはちょっと考えて付け加えた。
「名刺のほうがいい?」