センウセルト
〜ジョカル、決死の救出〜
―アクバー峠付近―

  
 ジョカルは盾の破片をたどって歩いた。注意してみると、辺りに雑魚モンスターと言われる生き物の死骸が散らばっている。ここで一体どんな戦いがあったのだろうとジョカルは思った。
 それらは文字通り、死骸としてあるのではなくて、破片になっているのだった――盾と同じように。
 ガラ……。
ジョカルははっとして剣に手をかけたが、石が自然に崖から落ちてきた音だった。その前方に、見えにくいが、洞窟のようになった場所がある。ジョカルは警戒しながらその入り口に近づいた。
 ズン……。  
 今度は地下から振動がきた。
 何か、いる。
 しかし、ファルスで遭遇したガーディアンの禍禍しさがここにはまだない。もし一人きりの今、本物のガーディアンに出会ってしまったら、自分はひとたまりもないかもしれない。彼には飛び道具もなく、援軍も控えておらず、背中を預けてきた仲間も遠くにいる。だがそれでも、ジョカルはその洞窟へと吸いこまれるように身を滑らせた。
 中は薄明かりが差しこみ、土埃か、それとも微小な虫の群のようなものが、柱の形になって尖った空間にそびえていた。足元を見ると清水が流れている。そこは、神々しいほど白い石英の洞窟だった。
 しばらく進んでいくうちに空間は狭く暗くなったが、ジョカルはその奥に何かの気配を感じた。そっと剣に手をやる。そして、暗がりを覗きこんだジョカルは思わず声を出した。
「センウセルト!」
 相手は、洞窟のせばまった岩陰に半ば横たわってこちらを見ていた。それでも剣はしっかりと握り、そのときがくれば戦うつもりのようだった。すぐ脇を流れる、不思議なほど澄んだ清水で命だけは助かったのだろう。ジョカルは、セウンセルトが意識もしっかりしたまま見付かったのでほっとし、剣をおさめるとすぐに傍へ寄った。兜でよく見えないが、顔色が真っ青で、どこか骨折しているらしかった。
「誰、だ・・・・・・?」かすれた声でセンウセルトは呟いた。
「忘れたか?ジョカル・カーソン・グレイはお前の決闘相手のはずだぞ。剣を持てるなら腕は折れてないんだろう、肩につかまれ」
 ジョカルはためらうセンウセルトの腕をとらえ、肩につかまらせて担ぐようにした。だがセンウセルトは拒んだ。
「ガーディアンは死滅していない、左足が動かないケガ人を連れてどうする……」
「それは、そのときに考える。だだをこねるんじゃない、行くぞ」
 ジョカルはそう言って無理矢理細身のナジュ人をおぶりながら、ふっと笑った。
「何を、笑う?」
「自分で言っておいて、母の口調に似てると思ったのさ」
 そう答えてまた笑いを噛み殺した。
「母上は、健在か?」
「おかげさまで」と、礼儀正しく応じたあとで、「しかし、こんなところでする会話としては妙だな」
  ジョカルが洞窟を歩きながら大真面目に呟くので、背中でセンウセルトもくすっと笑った。
 決闘相手をおぶったまま、ジョカルは元来た崖下の空間にたどりつく。そしてそこにはおぞましく皮膚のはがれた、バシリスク型のモンスターが待ち構えていた。ジョカルたちに気付かず、耳らしきものをひくひくとさせている。
「ジョカル――」
 センウセルトが言いかけるのを、ジョカルは冷静に鎮めた。
「しっ。叫べば刺激するだけだ。奴は目がよくない、目の前の俺たちに気付かないのだから。そして鼻も大したことはない、お前のアーマーについた血のニオイにも無反応だからだ。つまり奴の得意は聴くことだけ」
 ジョカルは自らを静めるようにひと呼吸置いた。そして。
「奴の脇を走りぬける。手を放すなよ」
 センウセルトは答える暇もなかった。ジョカルはチャンスと見た瞬間に剣を抜き、金属製の鞘を遠くへと放り投げた。
 カシャーン!
 バシリスクはすぐさま反応し、体を反転させる。ジョカルはそのときにできた、岩壁とのわずかな隙間へと突進した。砂利を踏む足音にバシリスクが口をあけて威嚇、獲物をとらえようと身構える。
 だがジョカルはその脇腹まですでに到達していたのだ。
 ザクッ!
 バシリスクの腹部を愛用の長剣が切り裂いた。と、そのときバリンという音も聞こえて、ジョカルは刀身を引きながら眉をひそめた。モンスターの背骨に当たってしまい、刃が折れたのである。
 倒れてまだうなるバシリスク。ジョカルは、折れた切っ先を捨て置いて、砂地を走り抜けた。その目の前には、足場はどうにかあるものの、限りなく垂直に近く切り立った崖があった。
「ジョカル……」
「黙ってろ、今考えているところだ」
 そう叱りつけたが、センウセルトは明かに弱っている。腕の力だけでつかまり続けろというにも限界がある。だが、どこが折れているかもしれない負傷者のアーマーをはずすのもためらわれた。
 背後ではバシリスクがグロテスクな声をあげた。半ばふりかえると、大型のバシリスクをやすやすと食らうサソリのようなモンスターがこちらを凝視している。
 ジョカルはセンウセルトを岩陰に降ろし、手早く自分のアーマーを脱ぎ捨てた。そしてふりむきざま、迫ってきた2匹目のバシリスクに剣を投げて地面に縫いつけた。
「よし、これを登れば助かるぞ」
 またも強引にセンウセルトをロープを駆使してかつぎ、使ったこともないカムシーンだけを帯びて、ジョカルは崖を登り始めた。サソリがあとを追ってくる。ジョカルは狭い岩の上にたどりつき、さらに上に向かった。サソリはその足元まで来た。
「こいつっ」
 ジョカルは足先で岩を操り、サソリにぶつけて上手く落下させた。だがダメージはなし。尾を振り上げてまたも追ってくる。ジョカルはそのルートではサソリが登りやすいのだと気がついた。そして、センウセルトをかついだまま、カムシーンを握り、凹凸のない岩壁に飛びついた。
 強烈な金属の摩擦音が一体に響いた。ジョカルはカムシーンで滑る体をささえ、もう片方の手でどうにか岩にぶら下がった。サソリは追ってこれずに思案している。
「大人しく砂に潜ってろ、だ」
 ジョカルは余裕の表情で言った、が、次に体を揺らしたとき、カムシーンががくんと手の中で震えた。
「!!」
 岩に亀裂が入り、ジョカルはカムシーンのささえだけでずるずると落ちかかった。当然、下には大サソリが待つ。
「ジョカル!」センウセルトが悲痛な声を上げる。
「いいから、うろたえるな!」
 ジョカルは必死でカムシーンを岩に突きたてる。その刀身に、地割れのようにひびが入った。
「ジョカル、ロープを切れ、私を落とせ!」
 ジョカルは耳を貸さず、気合とともに岩の上に跳ねあがった。
 どさっ。座りこんだジョカルの脇に、センウセルトも放り出された。
「悪い……傷に響いたかな?」
 さすがに息の切れそうな声でジョカルは言った。そうしてふと見ると、センウセルトは兜が外れて、長い黒髪が垂れたままになり、美しい瞳に辛そうに涙を浮かべてジョカルを見詰めていた。
 ジョカルは言葉を失った。そこにいたのは、――ずっとセンウセルトだと思っていたのだが、そしてまた、センウセルトに非常に似ていたのだが――、うら若い女性だったのである。