予想ではこれから波が高くなり
〜コーデル、動き出す〜
―ツヴァイク―
コーデルは公爵である祖父の執務室に長い間座っている。アレクからの報告を読んでいたのだ。
祖父は、とうとう痺れを切らしてコーデルに言った。
「アレクの報告と、船団の行方不明と関連があるとでもいうのか、コーデル?」
「それは、はっきりとは言い切れません」と、きっぱり言ってのける孫娘は、目を分厚い報告書から離さなかった。しかし、やがて決心したように椅子から立ち上がった。
「こ、こ、コーデル。どうした?」
「失われた船の型を考えると、これは水難事故とは思われません。何者かによって、意図的に、船を奪われたのでしょう」
「ツヴァイクの軍船を奪うとは、そんなことができるのは海賊に違いない。そういえば、ピドナの船匠くずれが造ったという、赤い船がアケ付近で暴れまわっているというが、きっと−−」
「もしくは」コーデルは冷ややかに即答した。「ツヴァイクの内部の誰かとも考えられます」
公爵は黙り込んでしまった。これまでの公爵の所業が世界各地で恨みを買っていること、コーデルは承知している。そして、手を汚した形になった部下や家臣への冷遇もまた、よい結果をもたらしていない。ただ、皇太子が亡くなっているので、そんな公爵位を継ぐのも彼女と確定したようなものだった。まだ20歳にもならない若さで、彼女は大国の尻拭いをしなければならない。このところ、公爵は、できのいい孫娘の将来を思いさんざんに反省はしたが、政治というのは反省しただけできれいさっぱりカタがつくような、都合のいいものではないのである。
しゅんとなった祖父を眺めて、年をとった、とコーデルは思った。海賊どうこうというのは、祖父のいつもの強がりで、内部にこそ敵を抱えてしまったことを、公爵とてもとうの昔に感じていた。それをコーデルの前でさっさと認めるほどの素直さ円さにはまだ至らない。
「ピドナのメッサーナ王家に協力を仰ぐことをお許しください」と、コーデルは慎重だがさっきよりは柔らかな口調で言った。
「ピドナ? それは、構わないが、あそこには小型の船があるだけと聞いている」
「それこそが必要なのです。ツヴァイクに残ったのは大型の、大砲を積んだ船であって、小回りのきく旗艦が配備できません。お許しいただけるのでしたら私がピドナへ参り、ソロンギル殿に直接お願いいたします」
孫娘が他国の高官をいきなり「ソロンギル殿」と、ファーストネームで呼ぶことに公爵は違和感を覚えた。メッサーナ王家に長く滞在し、そこの独特の空気がコーデルの冷えた心を溶かしていたのかも知れない。
だがそれは望ましい結果をもたらすだろうか。戦乱の時代の生き残りである老公爵には、少しといわず不安がつきまとった。けれども、それは別として、「敵」が海からツヴァイクを狙うとすれば、ピドナを盾とするのも有効……。
「行きなさい、コーデル。お前の判断に任せる」
コーデルは会釈し、顔を上げると微笑んだ。「ありがとうございます、おじいさま」
その顔を見て、公爵はたちまち頬が緩んでしまう。
「気をつけるんじゃぞ。もう、ケガをするでないぞ。メッサーナ家は信頼できるとはいえ、他国なのじゃから……」
メッサーナ家ではない、メッサーナ王家です、家というならばクラウディウス家です、とコーデルは思ったが、孫が聞く分にはとりたてて失礼にも当たらないと考え、ほっておくことにした。そのあとの忠告については、コーデルは無視して執務室を出た。
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「お呼びでございますか」
礼儀正しいというより、カチカチになってセリーが部屋に入ってきた。
「ええ、ピドナに行くことになったの。それも大至急。支度を手伝って」
「まあ」セリーは驚きの声だけをあげ、気の利いた返答もしないで支度にかかる。
「侍女頭にしつけられているようね」
「はい。でも怒られてばっかり……」
「気にすることはないわ。あなたは私の傍仕えなんだから、私がいいといえばそれでいいの」
「はい」セリーはそう言われてやっと笑顔を取り戻した。カチカチにしつけられても体型はかわらずウズラのようである。
「ピドナへは、大切な御用で行かれるのでしょうね?」
「行かれるのでしょうでなくて」
コーデルは面白がったようにピキンと侍女を指差す。「あなたも一緒にくるのよ」
「ひぃ!?」尻餅をつくセリー。
「ひょっとしたらピドナにしばらくいることになるわ。まだ……これは勘なのだけれど。そして、あなたが一緒のほうがいいと、これもそんな気がするの」
「そうございますか」
「そうで、ございますか」書類を確認しながら、コーデルは言い直させた。
「は、はいっ」
靴を梱包していたセリーは、今度は頬を真っ赤にした。
そういえば、去年の夏はすももを食べてないわ、とコーデルは思った。