ゲッシア末裔の告白
〜ジョカルの一番長い日〜
―アクバー峠峡谷―
ジョカルは理由を問い詰めたりはしなかった。彼女がセンウセルトに非常に良く似ていて、この場にいるということは、かなり近い縁の者であるし、足は確実に折れている。だとすれば、彼女を助けて峡谷から脱出すればいいことだ。
ジョカルはわずかな間に頭を整理し、迫る化け物サソリの動きに視線を移し、剣を持ち替えた。
「私が一緒では無理だ」彼女−−ライラ=ジャミルは下をちらりと見てから言った。気をつけてきけば、センウセルトより高いし、やさしい音楽的な声だ。
「黙っててくれないか、考えてる」
「考えても……」
サソリは4匹に増えていた。その後方には仲間が食われても懲りずについてくるバシリスクが6匹。そして、ジョカルが握るカムシーンにははっきりと亀裂が見えていた。
「よしっ」なにか思いついたらしく、ジョカルは手近な石を物色し始めた。
「一体、何を……」
「うん、剣が頼りないんで、この場で調達しようと思ってな」
「石で?」
「ここの崖の石、よく見た黒くてらキラキラしているだろう、ひょっとしたら出るかもしれないぜ」
ジョカルはそういいながら手早く石を調べていたが、急に小さな子供のような笑顔になって、
「あった!」
黒曜石だ。しかも運の良いことに、短い投槍そっくりの長さととがり具合である。そうしてたちまちそれはジョカルの得物と化していた。
ザクッ!
第一のサソリの尾が一刀両断にされていた。痛みにうろたえたところを素早く頭部をつぶしてとどめを刺す。
「行こう、次い追いつかれる前に!」
ジョカルは片手に黒曜石の槍を、もう片方でライラ=ジャミルを抱えるようにして、細く道のように続く岩の裂け目を駆け上った。その右脇からバシリスクが飛びかかろうと構えている。
サクッ。
ライラ=ジャミルの小型の三日月刀がバシリスクの腿を裂いた。
「助かった」
ジョカルは素直に礼を言った。彼女も短く頷いてみせる。そして、もうすぐ味方と合流できるであろう崖の向こうに届く、そう思ってジョカルは必死に岩に組み付いたが、見えた光景に愕然としてしまった。
同じ光景を見て、ライラ=ジャミルも無理やり岩場に降り立った。行き止まり。岩場を逃げながら登っていたために、孤立した大岩の突端に出てしまっていたのである。
カサカサ……サソリとバシリスクが争いながら迫ってくる音がする。もはやカウントすることも難しい数がどこかから溢れて、獲物の2人を追い詰めていた。ジョカルは白虎術で、ライラ=ジャミルは太陽術で、それぞれ近くの雑魚を一掃したが、普段は剣士であるかれらの術力はすぐに切れた。
「言わぬことではない、この地の生き物をすべて敵に回した」
その落ち着いた声にジョカルは振り返った。
「名前くらい聞いておこうか」
「私の名はライラ=ジャミル。センウセルトは弟だ」
「ライラ=ジャミル……オレはナジュの言葉がわからない。どういう意味なんだ?」
「美しい・夜」彼女は岩に座り込んで言った。「ついでに、センウセルトが、いや私もそうだが、ジョカル・カーソン・グレイを敵対者として考えていた理由を話そうか」
「話したければどうぞ」
ジョカルも黒曜石の槍を転がし、取り出したカムシーンのひびを悔しそうに眺めながら答えた。
「……私の父は、アフマド・ゲルグスといってゲッシア王家に仕えた武人だった。身分は下級貴族といったところか。王朝が倒れて、かろうじて捕虜にならなかった父は一族を連れて王都を逃れていた。そこに大洪水が押し寄せ、水に流されていた人々を父たちは救出したが、その中に記憶をすっかり無くした、身分の高そうな若い娘が紛れていたらしい。
一緒にいた者たちは彼女はファティーマ姫ではないかと推察したが、それが事実となるとせっかく逃れたのに神王教団の追手がかかる。そこで、彼女を別の名で呼び、かくまうことにした。彼女はずっと記憶が戻らないままだった。それが、後の私とセンウセルトの母親だ」
「……」
「しばらくは幸福な日々があった。けれどある年に羊から発する感染症が蔓延し、大抵の者は軽くてすんだけれど、母は……」彼女は苦しげに言葉を切り、それから続けた。「低い身分の者たちと接触のないことをそれで証明したようなものだった。熱が下がらず、意識が混濁して話もできなくなった……」*****
オリバーは精鋭を連れて元きた道をひたすら馬で駆けていた。一刻も早くジョカルとライラ=ジャミルという生存者を助け出さねばならない。砂漠を駆けながら、オリバーはニルギニへの苦々しい気持ちをもう捨てていた。それは彼の話した内容のせいかも知れない。
ニルギニはセンウセルトと村の事情をさかのぼって語ったのだった。《……熱の下がらない奥方は意識が混濁し、アフマド様の言うことも理解できなくなっていました。そしてもう体力が衰えるばかりになり、枕もとに子供たちが呼ばれました。勿論、ライラ=ジャミル様とセンウセルト様のことです。2人は母上が大好きだったので、お別れを言いなさいを言われて泣きじゃくっていました。奥方の発作はそこでいっそう激しくなり、収まったときには憔悴しきっていました。
アフマド様が手を握り声をかけると、彼女は急に目を開け、生き生きとした、それまでに誰も見たことのない表情になり、言われたのです、「来てくれると思っていたわ。ずっと待っていたのよ」
アフマド様ははっとしましたが、震える声で応じました「遅くなりました、ファティーマ姫」
すると奥方はやさしくとがめるように
「姫はやめてっていったでしょう、エル・ヌール」》空に何か黒い点がういているように見え、オリバーは話を思い出しながらその点を見ていた。馬を飛ばして近づいていくうちに点はだんだん大きくなり、やがてその形がはっきりとなった。上空から岩山の上に狙いをつけて現れたガーディアン、それは骨のむき出した巨大な肉食鳥の姿だった。
***
「……それが最期だった。そしてそのときの父上の悲嘆を、私たちは目の当たりにしてしまった。最期の瞬間に、母はもとの姫に戻ってしまい、父上ではなく、−−洪水から母を助け出し、厳しい旅の中で身を犠牲にして世話をし、看とろうとしている父ではなく、ハリード・エル・ヌールを待ち焦がれていたことを告白したのだ」
ライラ=ジャミルはそう言いながら、決してジョカルを責める口調にはならなかったが、背けた顔は涙で濡れていた。
「ハリードはオレの実の父だ」ジョカルは答えた。「ファティーマ姫を見つけ出すことはあきらめて、西で農場の娘と結婚した。その息子がナジュ砂漠を見たこともないうちからゲッシアの後継者を名乗る。それでは、君らがオレを憎むとしても当然だろう」
彼女は軽く首を振ったが、それが肯定なのか否定なのか、逆光で顔がよく見えないせいもあって、ジョカルにはわからない。風が渦を巻いて谷を抜けていき、崖の岩があちこちで転がり落ちる音がした。そのほかに一切の音がない場所で、話は淡々と続いた。
「11歳と9歳の姉弟には、母がそんなことを口走ったのは熱病のせいであることや、失った記憶がうわごとになったに過ぎないことを、頭では理解しても、気持ちは納得できなかった。センウセルトは武人の父を尊敬していたし、その父も長生きしなかったから、余計に思うところがあったのだろう。そして、それが理不尽な憎しみだとしても、それを支えにモンスターと死闘を繰り返さざるをえなかった。私は、せめて弟が死ぬときになってそういう負の内面から自由になっていればよいと願う」
彼女は涙を拭い去り、ジョカルへ向き直った。「これで全部だ」
「そうか、話し合えてよかった」ジョカルはつとめて微笑んで見せた。「それで姉君のほうはどうお考えなのかな?」
「まだそんなことを。全く鈍い」
そして突然、彼女はジョカルを睨んで冷たく言い放った。「弟は人選を間違えたらしい」
「はあ!?」
「センウセルトに挑発されたようだが、私的な決闘のために本陣を離れるとは総司令官としての資質も疑わしい。ゲッシアを名乗るにしては曲刀の扱いがまず不慣れ。そもそも単独行動をとれる腕もなければ、砂漠がどんなところかも知らないのであろう」
ジョカルはぐうの音も出なかった。年上だけに、グサッとくるセリフが弟より上をいっている。
しかしジョカルの憤懣も気にかけず、ふっとため息をもらした彼女はいたって冷静に付け加えた。
「人生の終わり専用の祈りの言葉でもあるなら、今唱えておけ。私はもういい。西から来たええ格好しいと一緒に無様に死んだというゲッシアの記録が残らずにすむならばありがたいが」
「ほほう、珍しく意見の一致だ。オレはガーディアンを倒した記録を残すんだからな――」
ジョカルが意地になって言いかけたときだった。
彼女は素早く体を回転させ、ジョカルをかばってダガーを投げた。怪鳥はすぐ傍まで迫っていたが、この攻撃で喉を突かれ、岩山から離れ、怒ったように奇声を発しながら旋回し始めた。
とはいえ、ガーディアンのクラスのモンスターがいまだに通常攻撃しかしないのは、相手がずっと弱いと確信し、いたぶりかたを思案しているためである。
「くそう」
ジョカルはライラの口の悪さと巨大な敵の両方に向かって悪態をついた。だが、ふと見るとライラは立とうとしてふらついた。骨折による発熱とダメージでぼろぼろだったところで無理な攻撃を試みたために、ついに体がきかなくなったのだ。怪鳥はそれを見て降下を始めた。
「なめるな化け物、私にはまだこれがある……」彼女は歯を食いしばってアーマーのサイドから小粒の火薬らしきものを取り出した。
「ダメだ!」
叫んだと同時にジョカルは飛び出したが、正面からガーディアンの爪の一撃を食らい、衝撃で数メートル下に落下した。岩棚にバウンドするように数度叩き付けられ、頭を打ったジョカルは気を失ってしまった。
ライラは弟と同じ最後の手段を使おうとして、ストップせざるをえなかった。下手に爆発させてしまうと、ジョカルの頭上に岩が落下するのだ。
「ジョカル!」呼びかけるとジョカルは手先をびくりと動かした。けれども目は開かないままだった。カサカサカサ……新たに近づいていたサソリたちは、ガーディアンの動きをうかがっていたが、自分たちを食べようとしていないことを知ると、再びうごめき始めた。