銀の砂嵐 〜サンドドラゴン・アル・アクバル〜 ―アクバー峠付近―
ジョカルはぱちっと目を開けた。天井にはシャンデリアが輝いていて、周囲の歓声に場違いなことこの上ない。そこはツヴァイクのトーナメント会場、そしてジョカルは、トーナメントに単独で出場し、決勝まで来て、アビス帰りの大将に叩きのめされていた。
「ジョカル、大丈夫かい?」耳元でソロンギル・クラウディウスの声がした。ジョカルは大丈夫と言いたかったが、まだダメージで声が出ない。カウントは4まで進んでいた。 「ジョカル、ここまで来たんだ、立てよ」と、子供のころの喧嘩相手たちが応援するのが聞こえた。
「立つさ」ジョカルは呟き、どうにか半身を起こした。カウント、7。ソロンギルが、そこでまた耳打ちした。
ジョカルはその言葉に、目を見開いた。―――
「ジョカル! サソリが来る、立て、バカ!」ライラ=ジャミルは自分のことは忘れて叫んだ。
ジョカルはもうサソリの群に囲まれている。身動きし、寝返りをうつ様子のジョカルに、バシリスクもたかりはじめた。
「ジョカル!」
ライラはまた叫んで、ダガーを投げようとしたが、その腕を怪鳥がつかんだ。
《お前の仲間に見せてやろう、女。お前が雲の高さからその岩に叩きつけられ、砕け散る様子をな》
ライラはいきなりガーディアンが語りかけてきたのでぎょっとした。怪鳥の足の爪は腕に食い込み、鮮血が飛び散る。ライラは体をねじって逃れようとしたが、到底はずれるものではない。
ばちっ!
ジョカルは悲鳴を聞いて目を開いた。周囲はサソリに覆われ、バシリスクは体に乗っている。しかしジョカルはかれらにつつかれもせず、刺されもしていなかった。そっと顔を上げると、頬にぽたっと血が落ちてきた。
頭上にガーディアンが羽ばたく気配があった。
「そうか、敵の敵は味方、ということだな。じゃあ、お前たち、ちょっとどいてくれ……」ジョカルはサソリとバシリスクに言って聞かせた。そして傍に落ちていたカムシーンを逆手に握ると、すさまじい気迫とともに岩を蹴り、頭上にいたガーディアンの喉を貫いた。
「ギャウウウウッ!」
ガーディアンは、ライラをそこへ放りだし、飛びながら口からどくどくと青い血を流した。
「ジョカル……」 ライラは腕を庇いながら微笑したが、限界を超えて朦朧としかかっている。ジョカルは、ガーディアンが隙を見せたので、剣を鞘に戻して腰に帯び、ライラを両手で抱えて立ちあがった。 「岩山を降りるぞ、ちょっと痛いだろうがこらえろ」
「でも、逃げ場はもう……」
「まだ言うか。勝つと言ったろう、オレは!」
そう言うと、ジョカルはサソリの甲を乗り越え、バシリスクの鱗の上を走リ、さっきまで登っていた岩山を一気に駆け下った。ライラはジョカルに必死につかまっていたが、傷から血が滴るにも関わらず、あれほど攻撃的だったサソリとバシリスクがじっとしている。いやそれどころか、―――彼女には不思議な幻とさえ見えた―――ジョカルのために道を作ろうと、かれらが身を呈しているかのようだった。
ジョカルは、最初にライラを発見した洞窟の傍まで辿りつき、そこでやっと彼女を降ろした。サソリが近くにいたのでライラが身をすくめると、ジョカルは「しー」と口に指を立て、かれらへの害意を消すように指示した。そして驚いたことに、ライラが言われたとおりに武器を下ろすのを見て、サソリは立てていた尾をゆっくりと地に付けたのだ。
《勇者とは誰のことです?》
《出口はなくなった》
地上まで追い詰めたガーディアンは誰かの会話を真似てせせら笑った。それを無視したようにジョカルは言った。
「オレがツヴァイクのトーナメントでダウンしたときだ、オレの友人のひとりは、スピードでもパワーでも勝る相手に負けると思ったオレに言った。〈完璧な強さなんか信じるな。相手はお前に不用意に近づけば逆転されることを知っている〉」
ジョカルはそこで再度、カムシーンを抜いた。 「ガーディアンはセンウセルトと戦っていたときは、トカゲの姿だった。それが鳥になったのは、この谷の地上に降りたくないからだ。地上に脅威があるからなんだ、ライラ=ジャミル」
「地上に?」ライラは意味を測り兼ねて彼を見上げる。 「この岩、この砂、それにセンウセルトのあの盾の破片が味方してくれる」
ガーディアンは憎々しげに降下してジョカルに狙いをつけている。ジョカルはアーマーらしきものは全て外した姿で、ヒビの入ったカムシーンをぎゅっと握り、谷に響く声で言った。
「オレに味方してくれ、砂漠の者たち、この谷間の住人たち、そしてこの地を統べると言う竜王、アル・アクバルよ――」
《小賢しい名乗りだな、小僧! 呪われて塩になるがいい!》
ジョカルはその声にひるまなかった。彼はカムシーンを渾身の力をこめて振るい、ガーディアンが突進してきたタイミングで地表の砂粒を巻き上げた。
ライラ=ジャミルは、ジョカルの剣が内側から光を発し、地表の砂粒が宙を舞い始めるのを、そして地面がのたうち、空が夜のように暗くなる中で、さっきの戦いで細かく砕けていた盾の破片が銀色に輝くのを見た。ガーディアンは呪いの眼光を放ったが、その銀色の鏡が乱反射し、ジョカルには全く届かない。ジョカルはその銀の輝きに守られながら、正面からガーディアンを指差すように剣を向けた。
「見くびるなよ、オレは小僧じゃない。ゲッシアの末裔、カムシーンを継ぐ者、ジョカル・カーソン・グレイだ!」
ガーディアンは怒り狂って頭を低くし、尖った嘴で突進してきたが、ジョカルはそれをカムシーンでまともに受け、少し後ずさっただけで跳ね返した。 《ヒビがはいった剣が、なぜ砕けない!?》 ガーディアンの声に、ジョカルは攻撃の手をやめずに応じる。 「オレは誇り高いこの剣を、重装騎兵の単なる武器としようとしてヒビを入れ、そのときやっと、この剣が戦うに任せ、声に従えばいいことに気付いた。砕けるなんて期待しても無駄さ、カムシーンはむしろ今こそ復活したんだ」 《図に乗るな、同じことだ!》 舞っていた砂粒の動きが速くなっていく。ジョカルは3度の激突の後、体勢を直そうとわずかに離れたが、砂がますます竜巻状になってゆくのを見て、素早くライラを抱え岩陰に飛びこんだ。
ゴオオオオオオオ! 谷全体を吹き飛ばしてしまうのではないかと思われるほどの轟音、砂と岩の赤土とが入り混じった巨大な蛇のような竜巻が、ジョカルに翼を折られたガーディアンを容赦なく飲み込み、周囲の岩壁にぶち当たりながらすさまじい勢いで回転している。
岩陰にいてもその風はジョカルたちをも飛ばしそうだった。しかしライラは、そこに逃げこんできたバシリスクを見ると痛みをこらえて場所を譲ってやった。ジョカルは、その彼女の頭を抱え込んでさらに身を伏せた。
バチバチバチバチ!
何かが裂ける音も混じったが何が起きたのか見ることなどできない。やがて砂嵐は谷を突きぬけて空中へ吹き出した。 ボンッ!
最後に高い空でそんな音がした。そしてジョカルは、ライラを助けながら谷の広くなった場所に出てきたとき、目の前に砂色の竜の姿を見た。滑らかな砂色の体は細かく美しい鱗に覆われ、長い尾は砂漠の大河のようだった。そしてその褐色の瞳は、長い長い歴史を見てきた賢者のそれである。
「アル・アクバル」ジョカルは身分の高い者にするように挨拶した。「感謝します」 砂色の竜はその挨拶に頭部をゆらして応じた。まさに、王の風格がある。
「私を呼ぶ声が聞こえたので、出てきたまで。私は――破壊神との戦い以来、長い眠りについていた。その間に人々は栄え、滅び、また戦って、愚行を繰り返し、ささやかな夢にすがりついていたことだろう。私が眠りについたのは、そうした人間の有様を見ることに余りにも疲れたからだ。そしてそれは絶望も希望もなき眠りであり、わがの眠りを妨げたのがお前だとしても、今この場に私がいるのは所詮、月の気まぐれにすぎぬ。……ただ、その眼、敗北の寸前でも希望しか見ないその眼は、たしかに誰かに似ている気がする。懐かしく、涙と微笑を持って思い出す誰かを」
最後は独り言のように言い、竜王アル・アクバルは溶けるように姿を消した。しかし同時に金属音が響き渡り、竜の声が言った。
「ジョカル・カーソン・グレイ、星の導きにより、そのときがくればまた遭おう。だが私とともに戦うつもりならば、言うまでもなく、その剣は直しておくことだ」
呆然とした状態から戻ったジョカルは、地面に転がっている金色の物体を見つけた。手に取るとそれはアル・アクバルの竜鱗で、その下に「O」の文字に見えるガーディアンの骨の破片が埋もれていた。
彼は応急処置をしたライラとともに、その谷を出た。今の砂嵐で岩壁の一部が崩れ、出口が出来あがっていたからだ。出た先には、平原のような岩棚が続いている。サソリもバシリスクも、もう追ってこない。そしてそこには新たな敵の影はなく、砂漠をきれいに見下ろすことが出来た。おそらく下からは、そそり立つ岩の一部にしか見えないだろう。
穏やかな風が吹いてくるその方向からは、オリバーの部隊が近づいてくる。彼らに所在を知らせたジョカルは、草の上に座りこんでいるライラの隣に自分も座った。
そこから見ると、岩棚の上一面が黄金の花に染まっている。
「こんなところに……まるで大切に守られていた花園のような」ライラが思わず呟いた。
「まるで、伝承にある、太陽の乙女の花だ」 ジョカルがそう言いかけたとき、不意にアル・アクバルの声が頭をよぎった。
――懐かしく、涙と微笑を持って思い出す誰か―― まさに、アル・アクバルは眠りについたままで、この花園を守っていたのではないか、とジョカルは思った。おそらくは、砂漠の気難しい竜王にまるで似つかわしくない形容をされる、この花の主を憶えていたかったがためにである。 ジョカルは急に涙がこぼれ、それをライラに見られまいと視線を空にやり、草に寝転んだ。そして、戦いを終えてファルスに戻ることが、なぜかひどく悲しく感じられた。
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