異邦の剣士 ジョカル、苦戦する
―ファルス、ゲート前本陣― ファルスのゲートはかつてルートヴィッヒの館があった場所を大きくえぐる形で黒い亀裂を見せていた。穴の周囲には草一本生えず、近くの小川は枯れ果て、牧場にいた羊には次々と奇形ばかりが産まれた。
ジョカルがこの地の警備を任されてからは、この周辺に住む者は人も獣もまるでいなかったが、東側の丘に天文台がぽつんと建っていた。ヨハンネスは、ジョカルがいくら説得しても、この地を離れるつもりはないと頑張っていて、そのためにジョカルは天文台にも警護の兵を割いておかねばならなかった。そして、その警備が無駄にならない日が来た。ヨハンネスの望遠鏡が、ファルス上空の異変を捉えたのだ。
「ゲートの裂け目付近からまっすぐの上空に稲妻が発生している。開く前触れかも知れない」
次の早朝、ジョカルは天文台からの見張りの知らせを受け、またアリエンたちがそろそろ到着すると分かっていたので、彼らを迎える支度に追われていた。
ゲートの黒煙はたびたび立ち昇り、ときにはモンスターがなだれ出てくることがある。ジョカルの本隊は、ファルスの街を背にして守っていて、ジョカルは自宅には帰らず、この数週間というものずっと天幕暮らしであった。
その天幕をあけて、部下の一人が入ってくる。彼はジョカルの学校時代の仲間であった。
「物資がすべて届いたようだ、確認しておくか?」
「いや、お前が見ておいてくれればいい。できれば医者が一人は来てくれるといいな」
ジョカルは兵士の配属を記録した書類を見ながら答えた。
「医者は引きうけた。それで、ゲートに変化が?」
ジョカルは顔を上げた。
「ここ数日、不気味に動いている。稲妻も発生したという天文台からの知らせだ。少し見まわりの人数を増やしたほうがいい、ことによると突入できるかも知れないぞ」
「それも了解した」
部下が出ていった後、ジョカルは自分のチェストに入っているカムシーンを手に取ろうとして、結局いつものブロードソードを帯びた。どうもこの曲刀は扱いが慣れない。といって、練習しようにもここは戦場だ。自分だけならともかく、仲間まで危険にさらしながらというわけにもいかない。 ジョカルはふっと溜息をついた。誰もそのことを指摘しないけれども、自分は認めねばならない。ジョカルのような重装騎兵が使うにはカムシーンはちょっと厄介な剣なのだ。
外が騒がしくなった。「ジョカル!」と鋭い声で呼ばれて彼は天幕を飛び出した。
「何か出てくるぞ、戦列を整える、指示を」
「わかった」ジョカルは兜をつけ、黒い愛馬にまたがった。「全軍配置につけ!」
このとき、黒煙は、数キロ上空まで高く、立ち昇るのではなく勢いよく吹き出していた。ついにゲートが開いたのだ。雷鳴に似た轟音とともに、ゲートからは多数のドラゴンが飛び出してきた。何頭かの馬が驚いていななき棹立ちになった。 ジョカルは配下を振り返って言った。
「メッサーナの援軍到着まで、何としてもここを守りきるぞ!」
「おおーっ!」 全軍は勇ましくときの声をあげて、ドラゴンの飛び交う空の下へ突撃、誘導しておいて後方の弓隊が狙いをつけた。ドラゴンの群を背後に引き寄せながら、ジョカルは命じた。
「弓隊、撃て―!」
矢の雨がドラゴンの翼に腹部に次々と突き立つ。一陣の勢いをくじかせ、ジョカルは次の波を待ちうけた。しかし、このドラゴンは同じ攻撃を繰り返さなかった。正面からでなく上空から急降下して、飛び道具を持たない騎馬部隊に襲いかかったのである。剣を構えそこなった一人の騎士は、側面からの襲撃に悲鳴を上げた。
グシャッ。
騎士は巨大な爪で肩と頭を掴まれ、上空で骨ごと砕かれた。そしてジョカルのすぐ真上で、そのブラックドラゴンは別のドラゴンに、まるで弄ぶように死骸を放り投げ、兜や鎧の破片をバラバラと落として見せた。
「槍をくれ」ジャベリン二本を手にしたジョカルは馬首をめぐらし、低空で向かってくるブラックドラゴンを標的に構えながら、馬に拍車を入れた。槍を投げると正面の一頭に当たり、きりもみになって落下していく。もう一本! またしても手応えがあった、だが、そのドラゴンは槍で刺されながらも再び舞いあがり、ジョカルを見据えて威嚇し突進の構えを見せる。
――反撃させるか!
ジョカルは歯を食いしばり、そのまま速度を落とさず剣を抜いた。
そのとき―――。
ヒュ、ヒュンッ!
空気を切裂く音があちこちから聞こえた。途端に飛んでいたドラゴンが次々と叩き落され、ジョカルの槍が突き立った一頭もあっさりと墜落した。驚いて、ジョカルは馬を停止させる。ドラゴンたちは瞬く間に殆どが落下した。何事か、多くの兵もその変わった武器の主たちを目線で探す。そしてジョカルは丘の上に数人の異民族の姿を捉えた。
「ジョカル・カーソン・グレイ!」
異民族のリーダーらしき、20歳そこそこの騎士が口を開いた。やや高い声にかすかに外国語のアクセントが混じる。ジョカルは慎重に返事をした。
「オレがカーソン・グレイだ。 陸路を来られたのか? 義勇軍志願か?」
「困っているようだから多少は助けてやらぬでもない。だがお前ごときが総司令官だというのは気に入らないな」
そう言うと、周囲の数人と顔を見合わせ、馬鹿にするように笑った。そしてその間にも、手からブーメランのように投げる円形の武器を飛ばして、やすやすとドラゴンを落としている…その様は娯楽に興じているとしか思えない。
バシッ!
ジョカルのすぐ頭上を今度は小型の三日月刀が飛んでいき、目の前にブラックドラゴンを落下させた。その堅い鎧のような鱗をざっくりと切裂かれ、ブラックドラゴンは砂にまみれて痙攣し、すぐに絶命した。これで22、とカウントして笑う声が聞こえる。
ジョカルは遊び気分の相手をキッと見詰めた。
「はっきり答えろ、味方するのか、しないのか」 「そこのゲートなど知ったことではない、私が用があるのはお前だ」 相手は即答し、たてがみを振り乱したまだら馬で丘を下り、さっきの三日月刀を拾い上げてからジョカルに近づいた。見れば褐色の肌と黒い髪と筋肉質のナジュ特有の体つきである。そしてこのリーダー格の若者は、仲間うちでも際立って美しい目を持ち、端正で気品のある顔立ちをしていた。長い髪はターバンの後ろで束ねられ、裾だけが風にさらさらとなびく。
ジョカルはその顔をまじまじと見詰めた。ずっと昔にどこかで会ったような? だがそんなはずはない。
「……何か恨みでもあるような口ぶりだが、全く身に憶えがないな。それにゲートが開いたからには、我々はすぐにも突入する。部外者は撤退してもらうぞ」
「身に憶えがないだと?」若者は周囲に響き渡る声でせせら笑うように言った。「貴様、カムシーンを継承したと公言したそうではないか。そのくせ使いこなせもしない、どこかに飾って眺めているだけであろう。これが王族トルネードの息子? とんだ茶番だな 」
「何……!」
ジョカルはこの突然の侮辱にさすがに気色ばんだ。だが相手はジョカルに近づき、馬で周囲を巡り、正面で止るなり言い放った。
「お前はゲッシア王族の宝であるカムシーンを盗んだだけだ。その資格もないのに手になじむと錯覚して喜んでいるだけだ。たとえ西方世界がお前をカムシーンの主と認めても、ナジュではそうはいかない。わが名はセンウセルト、ゲッシア王朝の正統の裔だ。カムシーンは、ゲッシアの誇りにかけて私が奪い返す!」
そういうことか。理由を知ったジョカルは、いつもの悠然たる態度を取り戻して相手を見返した。
「…言いたいことはそれだけか。ならば今は引け。ゲッシアの誇りにかけて、いずれ決着をつけよう。オレは逃げたりはしない」
「今ここで決着を! センウセルト様」後方から仲間が声をかけた。 「ジョカル、ドラゴンは大方片付けた。こんな無礼は捨て置くな!」ジョカルの部下たちも負けていなかった。
開いたばかりのゲートの目前でこんな諍いは避けねばならない。ジョカルは分かっていたが、仲間に煽られたセンウセルトが剣に手をやるのを止められるという確信はなかった。そしてちょうどそこに、聞き覚えのあるよく通る声が響いた――。
「やあ、ジョカル。そっちの連中は知り合いの援軍か?」
フェリックス・ノールは馬上からにこやかに手を振った。軽装の皮鎧で右肩にワイバーンをとまらせている。ワイバーンはフェリックスの髪に頭を突っ込んで、どうやら甘えているらしい。その姿は余りにも平和で、思わず微笑みを誘うものだった。
「何者だ?」センウセルトの仲間はざわついてフェリックスを注視したが、フェリックスは全く動じることもなく馬をゆっくりと進めてくる。
「その輪っか武器を使う連中に言いたい。ドラゴンを倒すのは結構だが、手紙を運ぶワイバーンまで狙うのは止めろってね。こいつは妹が大事にしてるんだよ。かすり傷だが大層怯えて、このとおり、しがみついてしまって」
ジョカルは剣架から手を放した。センウセルトも仲間に武器を下ろさせ、フェリックスに言った。
「ワイバーンに手紙を運ばせるとは面白いことをするお人だ。知らなかったとはいえ、大事なワイバーンを傷つけたこちらの落ち度は謝ろう。我等は援軍とは違う用向きで来た者だ、これで失礼する」
「そうですか、共に戦えないとは残念だがやむをえませんね。帰途もよい旅を」
何のわだかまりもなく一礼するフェリックス。ジョカルは、さっきまでの張り詰めた空気が一変したことを知った。
センウセルトは馬上でフェリックスに軽くナジュ式の会釈をし、仲間を先に立ち去らせた。そして自分はジョカルの脇をすりぬけざま、低い声で言った。
「決着をつけたくなったらアクバー峠まで来い。私はいつまでも待ちつづける……来なければ貴様は永久に卑怯者だ」
そして彼はジョカルを振りかえりもせずに馬を走らせた。ジョカルも彼をわざわざ見送ろうとはしなかった。抑えている悔しさに顔はこわばり、握り締めた拳にも力がこもったままだったからだ。
今目の前にゲートさえなければ、総司令官の立場でさえなければ――!
「司令官、援軍が到着したもようです!」 部下が急ぎ知らせに来て、ジョカルは我にかえった。丘の向こうからラッパの音が響きわたる。 「よし、援軍と合流する、全軍を集めろ」ジョカルが命じたとき、オリバーとアリエン率いるメッサーナ軍と規律正しいツヴァイク騎士団が丘の上に姿を現した。ファルス=スタンレー軍の間に歓声が上がった。ジョカルの表情も少しだけ和らぐ。ゲートの開口に間に合った。これで戦況は好転するに違いないと思えた。しかしフェリックスは先ほどまでと違い緊張気味だった。 「ジョカル、ゲートが動く!」 フェリックスはくぐもった音を立てるゲートを前にして馬上から言った。と同時に、ジョカルと部下たちの目前でゲートの黒い穴は小さな爆音とともに土壁が崩れ落ちた。そしてその土埃の向こうには、地底深くへ通じるひとすじの道が、まるでジョカルたちを招き入れるように出現していたのである。
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