白昼の闇 <1>
ツヴァイク騎兵部隊、5分休憩
―メッサーナ領・ファルス道―


 ツヴァイクからファルスへ至る道は、川を渡ったメッサーナ領内ではよく整備され、周囲には糸杉の並木と雑木の森があり、そのまま遠乗りで来るにも気持ちのよさそうな場所であった。しかし、このような街道にあっても、馬上のコーデルはずっと不機嫌な表情だ。領内を軍隊を連れて通過するため、メッサーナ女王に挨拶をと謁見を申し込んだところ、女王はたまたま留守で、"ツヴァイクへ戻るときにでも再度王宮を訪ねるように"と、控えの者に言われたからである。
 西側の森林地帯を避けた、挨拶が必要になるようなルートを選んだのは、敢えてメッサーナ側の動きに合わせたからだ。そのツヴァイク公女に対して、まるで使いの小娘のような扱い。人一倍プライドが高いコーデルにとって、面白いはずはなかった。

「コーデル様、少々ペースが速すぎるようです」
おずおずと、遠縁に当たるアレク・バイカル子爵が声をかけた。
「新兵は追いつけません、しばらく部隊を休息させていただけないでしょうか」
 コーデルよりも4つも年長なのだが、アレクは実に控えめで真面目。肌の多少の浅黒さをのぞけば、彼はコーデルの父に良く似た貴公子で、誰よりも信頼できる部下である。
 コーデルは煩そうに馬首を巡らせた。今彼女が率いている先鋒のツヴァイク軍1000の騎兵部隊は、経験したこともない遠距離を走り続けたためか、彼女についてくるだけで疲労の色を見せている。何人かが腰を落ち着きなく上げ下げしているのも、どうやら鞍で擦れて痛くなったせいらしかった。
 彼らはたしかに歴戦の兵ではなく、貴族階級から志願して配属された若者が中心だった。とはいえ、まだ一匹の魔物も現れていないというのになんというだらしなさか!
 コーデルは、平和に慣れすぎたツヴァイク貴族たちを苦々しく見詰めたが、ここで脱落者が出るようでは全軍の士気に関わることも理解していた。
 ふっと周囲を見渡す。前方は相変わらず一本道で、そろそろ国境にかかるところでなだらかな丘が見える。
「あそこで5分休息。そう命じなさい」
 彼女はそう言うと、馬に鞭を当てて丘へと走っていった。

 丘の向こう側からは、夏の針葉樹の香りのする風が吹きぬけた。このあたりではさすがにモンスター出没という噂もなく、丘の傍にまばらに見える村もすでに人々が避難したのか、人気がなくなって久しい様子である。コーデルはそこで大きく深呼吸した。そして丘を上りきったとき、ふもとに集まっているモンスターの一団に驚いた。
「アレク、モンスターの襲撃です、陣形を整え――」
 言いかけて、彼女はモンスターが狙っているのが一台の荷馬車であることに気付いた。3人の若者がゴブリンの大群相手に荷馬車を守ろうとして奮戦しているのだが、こんな危険地帯でモンスターに囲まれながらそれでもファルス方向へ進むとは、全く無謀にもほどがある。
 間もなく背後に騎兵の蹄の音が揃ってきた。
「コーデル様、迎撃態勢は整いました」
「よろしい、あの荷馬車を救出に向かいます。続きなさい」
コーデルは腰の剣を抜き放ち、空に掲げるようにして配下を振りかえり、それから馬に拍車を当てた。
「全軍、突撃!」
「全軍突撃! コーデル様をお守りするぞ!」
アレクも叫び、丘を駆け下った。

 激しい急流の轟音のように蹄の音を立てて、ツヴァイク騎兵部隊はモンスターの群を包囲した。しかし、荷馬車でゴブリンを相手に戦っていた3人は、たちまち追いついたコーデルたちが周囲でゴブリンを倒すのを見て、なぜかほっとするというよりも余裕の表情だ。
「援軍だぜ、クリスよう」槍を振り回す大柄の若者が言った。
「特に必要はなかったけどね、時間の短縮にはなるさ。な、サレット」そう答えたのは、器用に両手でレイピアをあやつっていた、縮れ毛の少年である。
「そんな憎まれ口はやめなよ、2人とも」もっと年下らしき少年が、馬車を走らせながら笑顔で言った。「援軍が来たということは、この道、ファルスに通じてるよ。迷子脱出、これでオリバーに荷物が届けられる」
 ガシッ、と、後ろで剣の束がずれる音がした。ゴブリンではない。モンスターどもはしっかりと退治された後で、走る馬から荷馬車に飛び移ったコーデルが、3人の間近に来ていたのである。
「背後は隙だらけよ。一体、こんな場所でのんきに移動販売でもする気なの?早く、ピドナへ避難なさい!」
 3人はごそごそと馬車を停止させ、そろってコーデルを見上げた。 「ツヴァイクの…?」
 コーデルは気短そうに肯く。「ええ、私はコーデル・フォン・ツヴァイクです」
「ビンゴ!助かった。ファルスまで一緒にお願いします」クリスが言った。
「なにを、馬鹿な」コーデルは眉をひそめた。しかし、それほど怒っているというわけではない。こういう時には、助けてやったことをくどくど頭を下げて礼を言われることのほうが嫌いだからである。
「唐突に失礼を申し上げました。わたしたちは、前線に赴くオリバー・ベント様に、追加の武器をお届けに参るところです。モンスターに襲われると困るので、是非に同行をお許しください」
 そう言ったのは、一番年下らしい少年だった。聞けば、かれらはピドナ鍛冶工房の後継ぎ3兄弟だという。モンスターにもひるまず武器を届けようという、かれら職人の心意気を垣間見たコーデルは、同行を快く承知、荷馬車には軍馬をつなげさせた。これをツヴァイク軍が前後左右をがっちりと護衛する形である。

「急いでいるのはこちらも同じ。ダラダラと運ぶことは許しません。――パイク、この大型の馬を制御できて?」
「まかせてくれ」パイクが答え、御者台にどっかと腰を下した。
「飛ばすぜ、コーデル様、しっかとつかまってな!」
 コーデルは口の端に少しだけ笑みを浮かべ、荷馬車の上で宣言した。
「全軍、ファルスへ出発!」
 馬車の鞭の音を合図にアレクが先頭へ立ち、勢い良く進軍が始まる。ツヴァイク軍は休憩が台無しになったにも関わらず、このときには逆に士気が上がり、だらけていた新兵の顔も、まるで別人のように引き締まっていた。