白昼の闇 <2> オリバー、新型の弓を試す
―ファルス近くの街道、森の外れ― オリバー・ベントが率いているのは、志願した義勇兵600余りであった。彼の任務は、この義勇兵を滞りなくファルスの前線基地に送り届けることであり、アリエン・クラウディウスが彼の補佐に当たっていた。
志願者がもっと増大することは明白だったが、人数が揃ってきたところで一部をファルスに送ろうというのは、ファルス軍は戦闘続きで疲弊しているに違いないと見越したピドナ司令官ソロンギルの意思であった。
これほどの数の冒険者が対アビス義勇軍として集まった理由はいくつかある。ある者は純粋に世界の危機に立ち向かいたいと目を輝かせたし、剣士として自分の実力を試したいという者、仕事にあぶれたので退屈だから、といっても不採用にはならなかった。メッサーナ王国軍の一員として迎えられることで、彼らには武器防具一式と準備金が無条件に与えられたので、この装備と資金を貧しい家族のために送る者もいた。
ソロンギルは、年若い隊長に従わない兵士が出るのではという心配を拭い切れなかったが、オリバーもアリエンもこれを経験としてゲートに向かうと意欲を語ったので、兄として励まして送り出したのであった。
「あの岩山を抜ければファルスに入ります。周囲の森に気を配って、はぐれないようについて来てください」 先頭を行くオリバーは丁寧な口調である。
「森になにか音がするぜ」誰かが苦情のように言った。 オリバーもアリエンも耳を澄ませた。早い午後の風は穏やかで、木立はほとんどざわめいていない。
「…見てきます。移動を続けてください」 そしてオリバーは、アリエンに先導を頼み、弓をかついで西側の森へと馬を走らせた。森は梢がどこかも見えない、恐ろしく背の高い杉が青みがかった陰をつくっていて、奥のほうは全く見通しがきかない。しかも風と枝がぶつかる音がこもって異様な空気を感じる。
「たしかに何が出てきても不思議はないな」
オリバーは杉の赤っぽい巨大な幹を小突いて呟いた。そのとき。
「なんだ、あれは!」
兵士たちがざわめき、整列が乱れた。 「落ち着いて!ファルスのゲートから煙が立つのは珍しくない!」アリエンが叫んだ。
ドーン!ドーン!
岩山の奥から地響きが聞こえてきた。
「まずいわ、こんなひらけた場所で大型の敵だと…」アリエンが首を振った。オリバーも肯き、急いで退却を命じた。一行は一目散に街道を引き返していく。しかし、岩山の端からサイクロプスの手足が、そして頭部が現れた。退却が間に合わない。
「整列を戻して、弓兵を後列に!」
馬がいななく声に負けずにオリバーが必死で叫ぶ。アリエンも愛馬を走らせ、兵士たちを誘導した。ばらばらに放たれた矢はサイクロプスの足や腕に刺さったが、トゲほどにもダメージを与えていなかった。そして目前に現れた一つ目の巨人を見て、多くの兵士がパニックに陥り、追撃の武器を構えることも忘れている。
巨人は彼らを見て強烈に吠え、一番近くにいた数十人を踏みつけ、手で掴んで捻り潰した。まるで悪夢のような光景。悲鳴と骨の砕ける音が響き、傍にいた者は血飛沫を浴びて呆然となった。森の下方からは黒煙のような濃い霧が這い出し、周囲に充満しはじめている。
「やられるッ! 逃げろ!」
誰かが怒鳴り、義勇軍全体で耐えようとしていた恐怖が一度に溢れ出した。
アリエンが駆け付けると、オリバーは馬に乗ったまま、周囲を味方が走って逃げていくのを追いもせずに、霧の中を進んでくるサイクロプスをじっと見詰めている。
「オリバー、しっかりするのよ!あの怪物はファルスからじゃない、その岩山から出てきたんだわ。ファルスの援軍は来ないと思わなければ!」
「アリエン」オリバーは静かに答えた。そしてその声は、アリエンが驚くほどしっかりしていた。
「あいつの弱点は、胸にある口のような部分だよ。普通に手足に切りつけてもダメージは知れているけれど、あそこを叩けば倒せると思う。そのためには、あの早い足取りを止める必要がある。…僕は目を狙うから、援護してくれる?」
アリエンは大きく肯いたが、オリバーがエルダーボウを構えるのを見て言った。
「援護はできるわ、でもその弓の威力であいつの目を射抜ける?」
「やるしかないよ、ピドナへの道を通すわけにはいかない」
オリバーが言ったとき、背後から聞き覚えのある声が怒鳴った。
「無理してカッコつけるなよう、オリバー」
「あいつにうってつけの弓を持ってきてやったよ」
「勿論、アリエン特注の槍もね」
オリバーとアリエンが振りかえって見ると、霧が覆いかけた背後の低い丘から見覚えのある荷馬車がやってくるところだった。
「あれは、パイクたちだわ」アリエンが驚いたような呆れたような声を上げた。そして、散り散りに逃げる義勇軍の目前にも、突如、騎士の一団が姿を現した。風にツヴァイクの旗がなびく。
「オリバー、早く弓を!」馬上からコーデルが言った。
「はいッ」
オリバーは、クリスから弓を受け取った。使い方を説明する間、コーデルは騎士たちに援護するように命じてあり、ツヴァイク軍はきれいな隊列を組んでサイクロプスを撹乱しはじめた。これを見た義勇兵たちも冷静に戻り、武器を拾い上げて攻撃に加わる。
アリエンがサレットから槍を受け取ったのはこのときだった。
「これ、わたし用?」アリエンは、ジャベリンの握り心地を確かめながら言った。
「うん」にこやかにサレットは言う。「母さんはこの出来上がりを誉めてくれたけど、聖王の槍を短く切って刃先も変形させたと知って倒れちゃった。父さんが介抱してるから、ここへ来たのは僕等だけ。でもさ、とにかく、使いやすいと思うよ」 アリエンもにっこり笑った。「ありがとう、まさしく特注だわ」
オリバーはというと、クリスに持たされた見なれない弓の仕組みを理解するのに必死だ。この最新式とクリスが力説する弓は、特別にしなる木製のハンドルに反発体として皮を加工したリムという器具が上下に附いており、あとは弦、左右へのぶれを防ぐばね、矢が弦から離れたときの振動を吸収するカウンターウェイト、ロッド。
複雑な構造を見るだけで不安そうな顔になるオリバーを、クリスは元気付けた。 「こいつはお前専用だ。いつものように扱えば矢が飛んでいくようにできてる。引き絞る強度も一定に保てるように作ってある」
オリバーはサイクロプスの目をめがけて狙いを定めた。
「照準が合わせやすい。いける!」自分にそう言い聞かせる。
だが、霧が視界を遮った。思わずオリバーも照準器から目を離す。サイクロプスは方向転換し、またピドナへ向けて歩き出している。
「前列、後退せよ!」 アレクが、追われる形になった味方に命令した。
霧で周辺は真っ暗で、血のにおいに誘われ人狼やゴブリンもどこからか湧き出していた。これでは敵の姿が見えないばかりでなく、方向感覚さえも失う。その間にも松明の火は強烈な風にことごとく消され、戦いは絶対的に不利。この場所がファルス近くの普通の丘陵地帯とは思えないほど、別世界の空気が漂っている。コーデルは、撤退をというアレクの助言に決断を迫られていた。
「コーデル様!」
コーデルはその声に我にかえった。暗がりの中で、銀色に輝く駿馬に乗った若い娘がコーデルをじっと見つめている。松明の弱い明りで、その瞳は黄金に光っていた。
「アリエン・クラウディウスです。わたしは撤退しない。あなたは?」
まるで戦いの女神そのもののように、自信に満ちた力強い声だ。コーデルは同じように気合を込めて、自分も撤退しないと言った。アリエンは軽く会釈し、手にした槍を掲げながら馬を走らせた。
槍は風が唸るような音を立て、刃先が青白く光り始める。その不思議に穏やかな光を見るうちに、兵士たちの士気は上がり、退却一方だった戦闘が流れを変えた。ゴブリンが次々と撃破される中、奮戦するパイクの大槍の前に、多数の人狼も退却しようとしている。
そして敵を追撃していたコーデルは、背後の森から囁く声を聞いたような気がして、いきりたつ馬を鎮めた。
――トリオールの浜辺に立つ 星の娘
赤き髪なびかせる 太陽の乙女よ――
アリエンは馬に拍車を入れることなく、声だけで自在に走らせていた。そして槍を掲げたまま闇の中を突っ切り、かすかにその形が見えるだけの岩山の突端へと駆け上ったのである。そして次にアリエンの姿が現れたとき、その手にした槍の切っ先には、朱鳥術による炎がともっていた。一息に周辺がその明りに照らされる。
戦っている誰もがその炎に目を見張った。強い風がいくら吹いても、そして黒い霧がいくら立ち昇っても、その炎の輝きだけは打ち消すことが出来ずにいるのだ。
――悪しき風に抗う 清浄の炎を剣とし
月の翼を駆り この闇を駆逐し給え――
「オリバー、狙いを!」アリエンは自分が囮になろうと岩山から叫んだ。しかしサイクロプスはオリバーの存在に気付き、威嚇の声を上げて腕を振り上げる。
近すぎる! 今や勇敢に戦っている義勇兵たちもこれには固唾を飲んだ。最初の矢が少しでも外れたら致命的な一撃を受ける距離に立ちはだかったまま、オリバーは弓を構えて退かない。そして彼は照準をサイクロプスのただひとつの眼球に絞った。
ビュンッ!!
瞬速の矢は切っ先の威力を落とすことなく、サイクロプスの目の中央に突き刺さった。
「グアアアアオン!」 激痛に耐え兼ねて、巨人は体をねじまげ両手で目を覆う。オリバーの矢は、容赦なくその両手にも突き立った。しかも明らかにダメージを与えている。
「パーフェクト!」クリスが兄弟たちと両手をパチンと合わせ、つられて多くの兵士が喜んだのもつかの間、巨人は速度を落とすどころか狂ったように走り出した。それもアリエンが炎を掲げる岩山の方へ。
――そして、暗愚の民とありし 心優しき巨人に
かつてヤヴァンナの大地に憩ったごとく――
オリバーは弓を下ろし、アリエンに向かって言った。
「岩山へ突進するぞ、アリエンッ」 アリエンはこのときも落ち着いていた。
「ティリオン、いけるわね?」 そう馬に囁いて岩山を一旦下り、また駆け上った。そして、反対側の岩山へ向かって宙へ高くジャンプしながら、正面にとらえたサイクロプスの胸、つまりオリバーが弱点と見ぬいた部位を、手にした槍でざっくりと切裂いたのだった。
馬は巨人の手から主を守るように敵の肩を蹴りつけ、バランスを崩すことなく岩山へと着地する。そして馬上のアリエンが槍を持ち替えて振りかえると、サイクロプスは一声、「クオオン」とないてその場に崩れ落ちた。
「やったか……」誰からともなく声が上がった。「いや、立ちあがりそうだぞ、とどめを刺せ!」
サイクロプスの巨体に兵士たちが群がっていった。
――穏やかなる 永久の眠りを授け給え――
霧が晴れるのを見て、コーデルは黙って剣を収めた。森から聞こえた囁きは途切れ、今はかすかな葉のすれる音さえもしない。オリバーの義勇軍もツヴァイク軍も、負傷者を手当てして休んでおり、すでに戦いは勝利に終わっていた。オリバーとアリエンは、鍛冶屋兄弟たちと勝利を喜び合っていて、コーデルのほうへも手を振って招いているようだ。コーデルは彼らにちらと笑顔を見せて応え、ふと、森から聞こえた声が本当に「声」だったのか疑問に感じ、単なる森のざわめきだったのかもしれないと思った。
だが――。
《かつてヤヴァンナの大地に憩ったごとく》
コーデルはその丘に生えていた一本の野草を風にのせ、ついにとどめを刺された一つ目巨人の方へ向けて、桃色の小さな花弁がふわりと飛んでいくままにした。
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