The fury of silver

 姉ルーシエンは一頭の狼犬を飼っている。
 いや、「一緒に暮らしている」と言うほうがいいな。
 ずっと前、森で成長すると危険だからと処分されかけた狼に似た子犬を、 ルーシエンは自分が引きうけて帰った。灰色の、一見凶暴そうなその犬は、成 長するにつれ危険どころか全く無害で愛情深い家庭犬になり、そしていつでも ルーシエンと一緒だ。

 犬の名はフアンと言う。銀色のふさふさとした見事な毛並みで、りりしいと 言いたくなるくらいの顔つきをし、尾を垂らし、いつでも走り出せるように腰 を少し下し気味で、ルーシエンの傍で辺りを警戒している。
 だが、警戒はしても本当に誰かに襲い掛かることは誰も見たことがない。むしろ、誰 かにちょっかいを出されても耳をすっと倒し、愛想笑いをするみたいに相手の 顔を窺い、それから尾を振る。敵意むきだしの猟犬に出会って も、近衛騎士の馬に威嚇されても、フアンは反撃することなく、ただしルーシ エンを内側に庇って、無言で通過してゆく。
 春、ルーシエンと農場に出かけて草地で休むとき、フアンの頭には小鳥が舞 い降りてその毛を引き抜いてお持帰りすることがある。フアンはこの厚かまし いチビの来襲に目をクリクリさせるが、しかし決して怒らない。ルーシエンを 見て、大欠伸をして、また機嫌よく草地に寝そべる。

 そして、銀色に輝く大きな体はどこにいても目立つから、その平和主義ゆえ に「フアンは臆病だ」と見る向きも出てきた。「フアンは図体が大きな愛玩犬 だ。ルーシエン様の護衛にも何にもなっていない」と。
 まあ、そうやって陰口は叩くけれど、フアンをルーシエンから引き離そうと は誰もしなかった。ただ、外部と接触するときには近衛騎士を二名、警護につ けるようになっただけだ。これは犬に警護を任せてはおけないと考える志願者 があってのことだった。ルーシエンは拒絶こそしなかったものの、私にはフア ンがいるから必要ないのに、と笑っていた。

 それからある日、議会で農地の拡大についてルーシエンが話を聞くことに なった。これにはピドナ市民も一部参加するので、見た目が恐ろしい狼犬は議 事堂の外で待機させられた。ルーシエンには当然、腕の立つ騎士が二人付き添 うことにして。
 そして議事が半分ほど進展したときだったという。フアンは議事堂入り口で 静かに立ちあがり、突然牙をむき、背中の毛を逆立てた。それから入り口に控 えている兵士の制止を振り切り、農民たちがルーシエンを囲む和やかなムード の会場に飛びこんでいった。

 そして刺客はその農民たちに混じっていたのだ。

 弟だから庇うんじゃないが、ルーシエンは温厚な性格で、利害関係なく農地 に人生を賭けている。荒廃した原野を開拓しての農地拡大は、メッサーナを越 えて一部諸外国の飢饉にも対応できるようにという、これがルーシエンの野心 といえば野心だ。そんな姉を狙うというのだから、食料を無償支援する用意を されては困る奴もこの世界にはいるらしい。

 どさくさに紛れちょうどルーシエンの背後に回った刺客を、二人の騎士は全 く警戒していなかった。そうして逆に、乱入してきたフアンがルーシエンを襲 うと思って剣を抜いた。フアンは二人の騎士を無視し、ルーシエンに向かい唸 り声を上げた――ように見えた。居合わせた人々はその迫力に悲鳴を上げるこ とも忘れ、硬直して見守るばかり。  その瞬間、冴えた声が怒り狂った狼に命じた。
「フアン、やるのよ!」

 フアンは騎士二人の頭上を飛び越え、ルーシエンのすぐ後ろでダガーを抜い た刺客に飛びかかった。刺客はすぐに床に押し倒され、ダガーを持つ手を噛み 千切られ、喉もとを大きな前足で押さえ付けられ、窒息寸前になった。
「誰か、取り押さえて。フアン、もういいわ」
 ルーシエンは落ちついたものだった。フアンは彼女を見上げて尾を振った が、騎士たちが完全に刺客を押さえるまでは前足を放そうとせず、おかげで騎 士に確保されたとき、刺客は真っ青な顔で咳き込み、右手首を失ったショック もあって今にも死にそうになっていた。
「誰の手先か、それに目的を話させてちょうだい」
 ルーシエンは淡々と騎士たちに言った。そして彼らが刺客をひきずって退出 するとき、彼女はさらに声をかけた。
「それから、警護はもう結構よ。この通り、私にはフアンがいてくれるから」

 騎士たちはいかにもきまり悪い気分で彼女を振りかえり会釈だけした。そし てふっと見上げると、そこには――
 信頼しきった表情で傍らを見下ろすルーシエンと、そのまなざしを受けて誇 らしげに尾を振る、狼犬の姿があった。

   ――なあ、フアン。今オレの傍で、仔猫に鼻面をひっかかれてしかめっ面を しているフアン。こう言っては悪いが、お前の真価を解っている者はほんの少 数だ。でも遠慮することはない。いつだろうといかなる場所だろうと、このオ レが、メッサーナ王直属近衛騎士団長であるトゥルカス・クラウディウスが許 可する。
 ルーシエンを守るため、走れ、唸れ、闘え、フアン!

=The End=



ルーシエンの愛犬(?)フアンをネタに突発的に日記に書いたものを保存せよという闇指令(闇じゃないし)に従いページにしました。本家Lilac Gardenとはかなり格差がある、やけに危険に場慣れしていそうな令嬢と、二重犬格的なフアンとなっています。
 この6月は自分の中でわんこ話がブームでした。by 犬好きサリュ 050701