The golden daffodil



 青空を高く低く、白い雲を抜け、黒い巨竜は誇示するように天を駆けた。紺碧の海に、大きな翼が波を白く輝かせ、砂漠に金色の風を呼び、再びピドナ郊外の上空に来ると、既に多くの人々が空高く飛ぶ竜を見上げ、歓声を上げている。トゥルカスは竜の頭の上からその身を乗り出して大農園を見下ろし、手を振っていたが、彼自身下にいる人々が豆粒のようにしか見えなかったように、上空を見上げる人々も竜の背に乗る彼には気付いていないことだろう。だが、歓声を上げる人々を見て、彼は都の危機が過ぎ去った喜びが増し、手を振らずにいられなかったのだ。竜は遠くに何かを見付け、農園の上を通り過ぎてから、少し高度を落とした。
 「どうした?」
 不審に思ったのか、トゥルカスが問い掛けると
 「むこうから馬に乗った連中が来る。白い馬を偉そうな兵隊どもが囲んでいて、ひとりは旗を持っているな」
 竜は鋭い瞳に映るものを、彼に教えてやった。
 「白い馬には横向きに女が乗っていて、すぐ隣には黒い馬に乗った男がいる」
 それを聞いたトゥルカスは、彼が見付けた一行が何者であるのかわかって、ああ、と声を上げた。
 「メッサーナ王と近衛軍団長…上の姉と父親だ」
 「なんだ、そんな由緒ある生まれだったのか?おれはどこの悪童かと思ったぞ」
 グゥエインの言葉に、トゥルカスは大きな声で笑う。由緒ある生まれという言葉も、悪童という言葉もまた、彼には当てはまるのだ。
 「違いない、未だに叱られる」
 それを聞いたグゥエインも「そうだろうな」と笑って、再び高度を上げて旋回し、ゆっくりと彼らの前に降りると、既に王を除く騎兵たちは馬から下りていた。
 白い馬に横向きに座っていたメッサーナ王は、白い簡素な衣裳の上に白の外套を纏い、フードを被っていたので、まるでほっそりとした水仙の花のようである。彼女の後ろにいた銀色の髪の男、ロアーヌ王国の第二王子の手を借りて馬から下りると、白いフードを後ろに脱ぎ、日の光を受け、金色の髪の毛が眩しいほどに輝く。彼女はゆっくりとグゥエインの側まで歩み、竜の背から降りたトゥルカスは跪いた。
 「天空の王よ」
 彼女はそう呼びかけた。女性にしては少し低めだが、よく徹る落ち着いた声である。
 「その大いなる力により、街は救われました。そればかりか、旧市街に水の恵みまで与えてくれことに、国民を代表して深く感謝いたします」
 そう言って彼女が深く頭を下げると、後方にいた近衛騎士とロアーヌ王子も、彼女に倣った。それから彼女は、竜の側に跪く弟を見る。
 「さて、トゥルカス…わらわは天空を飛び回り、民を驚かせることまで許した覚えはありませんが」
 大きな弟は、上目遣いに長姉である王を見る。悪さがばれて叱られる時、この大柄な少年はいつも、あどけなさの残る困った顔をするのだ。体の大きな彼が怖々と上目遣いで自分を見る様がおかしくて、彼女は軽く笑い声を立てた。
 「そなたの力なしに、街の無事がなかったのも、また事実。見事でした」
 彼は嬉しそうな笑顔で王を見上げ、そのまま彼女の後方、黒い馬の側に立つ近衛軍団長を見た。彼もまた、控えめな笑顔で頷いてみせる。
 黒い巨竜は、側に立つ王の視線に合わせるように頭を下げ、黄金に輝く女王を見詰める。その瞳には星のような輝きと、底の知れない井戸のような深さがあり、若いはずなのに若々しさはなく、長い歴史を見続けてきたような知識と威厳に、長い時を生きてきた竜も、圧倒される思いを感じずにはいられなかった。
 「肉を喰らい、宝を奪う…そなたは竜の本性と信じているようですが、わらわはそう思いませぬ」
 心の奥底に渦を巻く存在を言い当てた言葉に、竜の目に驚きが浮かぶ。そして彼にとっては虫けら同然と思っていた人間の、それも王という位や抜きん出た美貌を除けば、小娘に過ぎないはずの彼女が、彼の憎しみの根底にあるものを否定する言葉に、望みを見出す思いを抱くことがあることなど、想像できようか?女王は両手を首の後ろに回し、白い宝石を散りばめた金の首飾りを外すと、グゥエインの角につける。
 「そなたが憎む竜の本性がそなたを苦しめる時、これが鎮め、生きることに倦み果てたそなたの慰めとなることでしょう」
 黒い竜の頭から伸びる角の根元に、白い宝石と黄金が輝き、それはまるで天空の王の戴冠のようにも見えた。
 「倦み果てていたのは事実だが、それも終わった」
 グゥエインはトゥルカスをちらりと見下ろし、再び王と向き合う。
 「しかしさっきの礼と言うならともかく、望みと言うならこれは貰って行く。代わりに、危機には力を貸すと約束しよう」
 「心強いことです」
 王は優雅に微笑み、答えた。
 「パウルスの角笛を、この小僧に与えるがいい。小僧が吹き鳴らせば、おれはどこへでも駆けつけよう」
 パウルスの角笛とは、後にメッサーナ初代国王となったパウルスが、聖王と共にアビスの魔貴族たちと戦っていた頃、彼が倒したピドナ郊外に住み着いていた竜の角を、聖王の槍を鍛えた職人が角笛に加工したものである。王が再びアビスの魔物と戦う際に吹き鳴らすものと伝えられているが、聖王がゲートを閉じて以来、アビスからの侵入者はなく、前回の死食後はメッサーナに王がいなかったため、パウルスの御世以来、角笛は仰々しい箱の中で眠り続けているのだ。
 「わかりました。わらわに代わって正しく使うよう、わらわはパウルスの角笛をトゥルカスに貸し与えましょう」
 王の従者たちは思わずどよめき、トゥルカス自身驚きを隠しきれずに、王と竜を何度も交互に見たが、グゥエインは一歩下がってから、大きな翼を広げた。それだけで風が起こり、王の長い金色の髪が靡いた。
 「帰るのか?また散歩に付き合わせてくれよ」
 「気が向いたらな」
 翼を広げるグゥエインに笑顔を見せるトゥルカスの足元に、何かが落ちた。一枚の薄く、大きな黒曜石のように見えるその正体は竜鱗で、それは美しく、非常に硬く軽量でもある。彼がそれを拾い上げると、既にグゥエインの体は宙に浮いていた。
 「大事に持っておけ」
 そう言い残し、彼はループ山地へ戻るのか、再び天高く飛び、その大きな体は、あっという間に見えなくなった。王宮に戻った女王ガラドリエルは、グゥエインに言った通り、パウルスの角笛をトゥルカスに貸し与え、ピドナの人々は誰からともなく、トゥルカスを竜の友と呼んだ。そしてトゥルカスは黒い竜鱗を友から貰った大切な宝物として、肌身離さず持ち歩き、どんなに優れた名工が鍛えた鎧や鎖帷子より硬い竜鱗は、いずれ彼の危機を度々救うことにもなる。


-end-


Many thanks:
Lilac Gardenのりらさんから、『Flying high』の続編のような一篇をいただきました。
タイトルもつけて良いということでしたので、女王の水仙のようないでたちからとってみました。
文中「ロアーヌ王子」とあるのは、りらさんちの次世代ではミカカタに息子がいるためです。うちのと違っていますが、設定の共有は細かいことは気にしない方針ですので、パラレルに読んでいただくのが一番良いと思います。
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byサリュ