星は散り行く 〜コーデルの負傷〜
―ファルス・ゲート前―
4人が洞窟を出た頃、ジョカルが迎え撃った敵大軍の姿は消えていた。しかも死骸はなく、一面に灰が散っているのである。味方の軍も一息ついた様子で動きを止めている。負傷者も余りいるようには見えなかった。最初の危機は去ったようだ。
「フェリーーックス!」ジョカルが手をあげて呼ぶのが見え、フェリックスはあとの3人を振り返った。
「戻ろうか。これだけ勝手に動いちゃ、総司令官に叱られるかもしれないけどさ」
「魔物がどうやって消えたか話を聞きたいわね」アリエンも元気にティリオンにまたがって言った。
4人は馬で本陣に向かって走り出した。周囲は来たときと同じ岩肌と平原だったが、夥しい灰が山になっている部分が目に付く。そして、フェリックスを先頭に、アリエンが乗るティリオンが軽やかに灰の脇を通りすぎたとき、オリバーは信じられない光景を目にした。
ただの灰の山が生命を得たかのようにうごめき、くねり、アリエンの背後で大きな手の形を作って盛りあがったのである。音も振動もなく現れたその手に、フェリックスもアリエンも気付いていない。
「逃げろ、アリエン!」オリバーは叫んで矢筒に手を伸ばした。アリエンもこのときには背後の異様な圧迫感を察知し、馬に拍車を入れながら短剣を抜きさる。しかしその灰色の手はアリエンにやすやすと迫り、ティリオンの足を狙いつかみかかった。
ヒュンッ! オリバーの矢は灰の手に命中したが、一瞬動きを止めるだけでそのまま貫通してしまう。
「くそっ」
「いいから、続けて援護して」
そう言って彼の傍を素早く駆け抜けたコーデルは、片手に月術の光を浮かび上がらせながら、ティリオンの後ろ左足をつかんだ灰の手にめがけて突進した。
ジョカルはアリエンの背後にいる物体を見てフェリックスに合図で知らせ、自分も駆けつけようと馬に乗る。気づいたフェリックスは馬を反転させアリエンを助けに走る。
アリエンは、ティリオンがつかまり大きくバランスを崩しながらも、頭上に迫る異様な手に術をぶつけたコーデルが、次の瞬間には剣を振るい、馬とともに体当たりするのを目の当たりにした。
ガシッ! ズゴッ!
強烈な閃光にアリエンは目をつぶった。ティリオンが転倒し、アリエンは砂地に放り出された。同時に、何かが叩きつけられ砕ける音が周囲に散ったようだった。灰が周辺に舞いあがり、露出した岩肌にぶつかったコーデルの姿をかき消している。この有様を天幕から出てきたアレク・バイカルも偶然見ていて、慌てて馬に飛び乗った。
「…コーデル様」オリバーは後方で弓を下ろして呟いた。そして次には叫び声を上げていた。「コーデル様!!」
アリエンは軽く負傷したティリオンの肩を叩いてねぎらい、急いでコーデルのもとへ走った。あの灰はもう跡形もなく、岩石のような破片だけが散らばり、そのいくつかにオリバーの矢が刺さっていた。そして岩肌には、コーデルの馬が絶命して横たわり、その傍らに折れた剣。コーデルは少し離れた草地に倒れていた。胸当てに幾筋もの亀裂が入り、兜が少しずれて、ひきしまった口元からは血が一筋流れ、息をしているかどうか分からない。 「コーデル?」アリエンは震えながらその手に触れた。ピクリとも動かない。 ――わたしのせいだ。
アリエンは身震いした。
急いで突入してはいけないと、母も言っていたではないか。
8人を待てとヨハンネスも言ったではないか。
あの星を見たのは自分だけなのに、その意味を単純に素敵な前兆と思いこみ、わざと誰にも話さなかった。そしてガーディアンが自分を名指しして殺すと言ったことも軽く無視して、全く油断して、すぐ背後に迫る手に対処するのが遅れてしまった。もしコーデルが庇ってくれなかったら、ティリオンごと捻りつぶされていたかも知れないのだ。そして自分を庇ったコーデルが――。
そう思って目を閉じると、赤い星の周りの星たちが傷つき点滅しながら散る様が見えるような気がしてたまらなくなった。負傷するなら自分がすれば良かったのに! アリエンは嗚咽をこらえながら声にならない声でコーデルに必死に詫びた。
「アリエン、ケガはないか?」
いつの間にか傍に来ていたフェリックスが優しく声をかけた。アリエンは彼を見上げる。
「わたしは何とも。でもコーデルが」
「彼女は大丈夫、このくらいで死にはしない」
フェリックスはアリエンの頭をくしゃっと撫でてからしゃがみこみ、慎重にコーデルの兜を外し、外傷がないことを確かめてふーっと息をついた。味方の兵士たちもやってきて、コーデルの馬の死骸を片付け、辺りを警戒している。
風が顔に当たって、コーデルは目を開けた。
「……アリエンは、無事なの?」
「ええ、何ともないわ、あなたが守ってくれたから……」
アリエンはそう言った途端、こらえていた涙が溢れてしまった。コーデルは何も言わなかったが、代りにアリエンの手を握り返した。アリエンはその手を再度ぎゅっと握ってから、自分を勇気付けて立ちあがった。ちょうどこのとき、駆けつけてきたアレクの馬の足音が迫っていたのである。
「コーデル様!」
アレクは馬から飛び降りるとオリバーを押しのけ、コーデルの近くへ寄って声をかけた。
「アレク、怒鳴らないで。大げさに騒ぐと士気に関わるわ」
「しかしっ」
ジョカルがその肩にそっと手を置く。 「ともかく応急処置を。医者は呼んであります」
「処置は速やかに願います。お任せしても大丈夫ですか、私はすぐにツヴァイクに使者を出さねばなりませんが。場合によっては騎士団ごと一旦引き揚げることもありうると思います。ご理解いただけましょうか?」
「もとより、これまでの協力だけで十分と心得ていますから」ジョカルは丁寧に答えた。そして、アレクからすぐにコーデルに目を移し、脈を取ってから、自分のマントをコーデルの体にかけ、部下に命じた。
「担架を早く。アリエンは一足先に戻って、天幕での支度にかかってくれ」
「はい」
「では天幕はこちらのを使う。行こうか、君」
アレクがアリエンを促した。アリエンはまだ蒼白でかすかに足が震え、やっとという感じで馬に乗る。ジョカルは添え木を手早く作り、折れた右足に固定した。この頃になってようやく体中に激痛が走りだし、コーデルはオリバーが兵士たちとともに担架を用意する間に、無理に話をしようとした。
「言い忘れていたことが……クリスたちに作ってもらったヘルムだけど」
コーデルは眉間にしわを寄せて咳き込みながらオリバーの方を向いた。「視界が少し狭かったわ。ただし、……あの軽さであの強度は完璧だと思うと、そう、伝えてちょうだい」
生真面目な言葉にオリバーは胸が痛んだ。コーデルを戦地へ誘った責任を改めて感じたからである。だが彼女が聞きたいのは謝罪の文句ではないはずだとも思った。 「はい、伝えます」 オリバーがふっと笑いかけると彼女も少しだけ目を細めた。
アレクは馬上から黙ってこのやりとりを見詰めていた。が、やがて馬にビシリと鞭を入れ、待っていたアリエンとともに走り去った。そしてその足音の振動のせいか、コーデルはまたひどく咳き込んだ。見ると砂地に血が飛び散っている。
「もう話さないほうがいい」
フェリックスは言い、担架に載せるためにそっとコーデルを抱え上げた。
「それにしてもソウルフリーズ直後に体当たりとは無謀だね。そんな戦法ばかりとるからケガが絶えないんだろ」
「……ご教示は後ほどお願いするわ、フェリックス。私は撤退する気はないの。でも、とりあえず……この荒地にこれ以上寝かされるのは嫌よ」
「はいはい」
笑って答えたフェリックスが、つと厳しい表情になった。
「ジョカル、コーデルの意識がない」思わず小声になる。
「落ちつけ、状態は大方見当がつく。そっと運ぶんだ」ジョカルは担架をしっかりと握り、仲間を見回した。「勿論、重傷だとはアリエンには言わないこと。彼女は自分に責めがあると思って動揺しているようだし。オリバーも、いいか?」
「はい」
そのとき後方から聞きなれない声が聞こえた。
「応急処置なら僕がやります。でも出来ればその後ピドナへ搬送したほうがいいと思います」
「君は?」
ジョカルが振りかえって訊くと、相手はフードを取り払った。長い水色の髪がさらりと垂れ、物腰の柔らかな色白の少年は、彼らに向かい一礼した。
「僕の名はネス。モウゼスの玄武術使いです。たった今、スタンレーから到着しました」
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