黄金糸 〜ランスの道具屋夫婦〜 ―ランス付近―
術士たちと別れて、不愉快な道具屋夫婦とともにランスへ向かうアリエンは一言も口をきかなかった。道具屋は逆で、アリエンのご機嫌をとろうとあれこれと世間話を聞かせる。というのも、アリエンが身につけているものが実は結構な品物であることや、剣の鞘にピドナ名家の紋章がありありと見えたからであった。
「ランスは何度もおいでになりますの、アリエン様?」おかみさんのほうがねちっこい口調で尋ねる。
「ええ、天文台のひとたちと親しくさせていただいているので」
アリエンは素っ気無くそれだけ言い、振りかえりもしないで馬に鞭を当てた。坂道を下り始めていた馬車は一気にスピードに乗り、身を乗り出していた道具屋夫婦は、あっとか、わっとか言いながら後ろの荷台に落ちこんだ。
「失礼。あとの2人をモンスターの目前に残しているので、急がせてもらいます」
そうして町の中心部から分かれ道に差し掛かると、道具屋夫婦はそこで降りたいと言い出した。
「どうー」
アリエンは馬車を停止させた。
「帰りにまた送ってもらえれば助かるんですがね。どうせ天文台の資料を受け取るだけで、後ろは空いているのでしょう?」
アリエンはむっとしたがそれをできるだけ顔には出さず、
「ファルスはまだゲートが煙を吐いている場所、一般の方をそうそうお連れすることはできかねます」
そうして、かれらの返事を待たずに馬車を天文台に向けた。
風もなく穏やかな日である。雲間から刺す日を浴びて、足早にやってくる人影があった。天文台の後方にある林から出てきたところらしい。
「フィデリス」と、アリエンは馬車から手を振った。名を呼ばれた自称エルフもちょいちょいと手を振る。その後をゆっくりと来るのはアンナである。
「こんにちは。資料を受け取りにきました」
「資料は揃っているわ、アリエン。馬を少しは休ませるでしょう、お茶でもいかが? クッキーも焼いたのよ」
「ありがとう、でも実はゆっくりできないんです」
途中での出来事を話すと、アンナは難しい顔をした。3人で馬車を天文台の脇まで移動させ、お喋りは続く。
「フィデリスもお茶に来たのね?」
「それが、アンナさんに連れてこられて居候させられているところ」
「何言っているのよ、他人事みたいに」と、アンナはフィデリスを小突いた。「死ぬところだったのよ。あんたみたいな子が、森でひとり暮しは絶対いけないわ」
そんなことを簡単に言うのでアリエンは少し驚いた。
「今は、大丈夫?」
フィデリスはふふんと鼻を鳴らした。「私を誰だと思っているのよ?」
アリエンは冗談と思って笑いかけたが、すぐに何か大事なことを忘れたような、気まずい思いで尋ねた。
「誰、なの?」
そう逆に質問されて、フィデリスは自分も答えられないことに気づいて目を丸くした。
「うーん。そのうち、わかるでしょ」
「本当かしらね」
アリエンは明るく言った。いくつか年上でしっかりした仲間が多いが、この自称エルフだけは同年代のような感じがする。
その後ろから声がした。 「こんにちは」あの不愉快な夫婦である。
「何か、ご用ですか?」と、アンナが言った。少し警戒している。
「例の術酒が欲しいんですがね。森のお宅はいらっしゃらないんで、もしやとこちらへうかがった次第で」
もしやにしてはタイムラグがない。ここにいると知っていて、アリエンだけを避けて天文台に来るつもりだったのだろう。ちゃっかりと小型の馬車も用意している。
「術酒はもう作ってないから」と、フィデリス。答えながら顔色が悪い。
「でもその手にお持ちの瓶の中身は……あの香りがしていますけどねえ」
「悪いけど、お帰りください」と、今度はアンナが突っぱねる。
「それは残念だねえ。いつか、テンの毛皮と交換でアンナさんが指輪をお預けになりましたが、これを買いたいという方がおられるのですよ。いやね、わたしどもも待ってくれと頼んでおるのです。そこへ術酒でもあれば、喜んでお渡ししようとやってきたのですがね」
フィデリスの顔が憤りでさっと赤くなった。
「アンナさんから指輪を取り上げたの!? 一体どこまで厚かましい人たちかしら!」
「人聞きの悪い、そうじゃなくて、いやね、うちも商売だからテンの毛皮の代金――」
アリエンは腹が立って、それくらいなら自分が出そうと言いかけた。本音は槍にものを言わせたいところだが、それではこちらが悪者にされてしまうからだ。だがそのとき、フィデリスはアリエンの腰から勝手にダガーを抜き、自分の長い金髪をつかむとざっくりと切った。アンナは短く悲鳴を上げたがフィデリスは構わず、髪を束にして道具屋のおかみに手渡す。
「これで指輪を返してくれる?」 「あ、そうねえ、綺麗な金髪だから価値はあると思うけれど……」
困惑したおかみさんの表情が驚愕に変わった。
「こ、これは、あんた!」
「き、金だ。本物の金糸だ!」
夫婦は金の糸の束を手に有頂天になり、アンナの安物の指輪なんかくれてやるといわんばかりに手に押しつけ、挨拶もそこそこに馬車に乗りこんだ。
アリエンは細かいことは尋ねなかった。ただ、どういう経緯があったかを聞くと、林につくられた小さなテンの墓に向かい、つんできた花を添えた。人なつこいテンが罠にかかり毛皮にされたと知れば、モンスターさえも庇うフィデリスが悲しむのは当然だとアリエンは思う。それにつけても、道具屋夫婦の金糸を得たときの態度からいって、指輪に買い手がいるという話はでっちあげだろう。
「指輪が大事とはいえ、あんな大金を払って良かったの? また味をしめて、あちこちで強欲なことを繰り返すんじゃないの?」
天文台へと戻りながらアリエンは振りかえって、まるっきり少年のようになってしまったエルフに言った。
フィデリスは、枯れそうなナナカマドの苗に術酒をかけながらにやりと笑う。
「そうね。でもあれをずっと金糸に保つことができるのは善人だけだったりなんかして」
「どういうこと?」
フィデリスは教えようとはしなかった。天文台の資料をつみこむ作業ははかどり、アリエンは急がねばならないので謎はそのままになった。しかも町のはずれの人が言うには、丘ひとつ隔てた向こうの、ツヴァイク方面の道をそれらしい馬車が行ったらしかった。
「ぎゃああああ! ヘビだぞ、これは金色のヘビだ!」 「違うわよッ、ただの卵パスタじゃないのよ! 金糸はどうしたのよッ!」
「1本、だけだぞ。くそう、儲かったと思ったのに!」
アリエンが馬車を急がせていると、聞き覚えのある声がそう叫んでいるのが、こだまになって聞こえた。
アンナが指輪を手放した顛末
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