赤か黒か オリオール、強気の賭けに出る
―港町リブロフ、町外れ― すっかり日が落ちたとはいえ、リブロフの町は多くの人で賑わい、パブや商店もまだ営業していた。夏の終りのことで、普段なら砂漠の方向から乾いた埃っぽい風が吹き、石畳の上にはナジュの砂が散っている。だが、この日は夕刻からその砂に大粒の雨が打ちつけていた。今宵、この先の海は嵐。リブロフに寄った船はことごとくドックに避難し、出航の見こみは立っていない。おかげで、東方から来ている旅行者と義勇軍志願者は、この町で足止めを食っていたのである。
宿屋の戸口にかかった、人の出入りを知らせる小さな鐘が甲高く鳴り、おもむろに出てきたのはオリオール・フルブライトだった。彼女は雨も気にせず港の方向へどんどん歩き出した。その後ろから彼女にはどうにも不似合いな少年が追いかける。
「オリオールさん、船は出ないんでしょ!? 雨もひどいのに宿屋を出てしまってどうするの?」
ヤン・エイは追いつくと不安そうな面持ちで言った。するとオリオールは、そこでぐいっとブーツを踏みしめて立ち止まり、ヤンの襟首をつかんだ。
「早くアリエンに会いたいとか言ってるくせに、船が出ないと聞いたらもう動かないの? それとも君は雨に当たると溶けちゃうんだったかな?ん?! 」
迫力に気押されながら、ヤンは手を振り放してから首を振った。
「でも泳いでいくわけにもいかないし、陸路をいってたら嵐がおさまるのを待つより時間がかかると思って…」 オリオールは威張って見下ろした。「この程度の嵐では出航を見合わせない船もあるものよ。いいから私の言うとおりにすること」
ヤンはいやな予感がした。もめごと好きなオリオールのこと、蛇の道はヘビどころか、あらゆる特殊ルートを駆使していそうである。果たしてまともな船に乗れるのだろうか。いやそれ以前に、「船」に乗れるのだろうか。
港の外れに通じる道を、二人は無言でてくてくと下っていく。雲が厚く空を覆い、風が倉庫前の看板やシートを吹き散らして騒々しい埠頭に船はなく、人気も全くなかった。そこからわずかに見える岩場の方で、何かがひどく揺れる波音がしている。不審に思ったヤンが目を凝らした先には、小型の帆船が錨を下ろしているようだった。
嵐はこれから酷くなるはずだ。正規の船ならばこんな場所には繋がない。ヤンはさらに悪い予感がした。
使われていないはずの倉庫にランプがかかっていた。それも煤で暗くしたような怪しいランプだ。オリオールは戸口にいたチンピラ風3人に囲まれたが、ものも言わずにオーラム金貨を握らせ、丁重に中に通された。
中は半地下になった、昔の酒蔵のような場所だった。テーブルは少なく、めいめい樽や転がった木箱に座って酒を楽しんでいる。タバコだか葉巻だかの煙が部屋中に充満し、オリオールが目指していくルーレットのテーブルがかすんで見えた。
ルーレットの傍には、隻眼の若い男、鋭い眼光のワケのありそうな老人、やたらと飲んでいる商人くずれのようなディーラーと、なぜか『東方民族の儀礼と習慣』という本を読んでいる金髪の若い男がいた。
オリオールは隻眼の若い男に近づいていく。男は目も上げずに低い声で言った。
「何か用かい、お嬢ちゃん? ここは、好奇心で若い娘が来るところじゃねえぜ」
すっとテーブルにチップを置く右腕に、翼を広げた鳥に似たアザがあった。 「船を出して欲しいの。急いでピドナへ行きたいわけがあるのよ」
彼は黒の12に置いたのに、ボールは赤の11で止った。男は面倒くさそうに彼女を見上げた。
「船は出ない。見て分からないか? 今夜は嵐だぜ」
チップを今度は赤の40に置く。だがこのチップもとられてしまった。
「見て分からないかしら? この嵐は自然の現象じゃないわ。途中にいるモンスターを倒してしまえばそよ風になるでしょう。それくらい、海賊ファルコ・ロッシには簡単なことと聞いているけど? 無論、代金はそれなりに払います、前金で3万、ピドナへ着いたらさらに3万」 傍の老人のほうがそれとなくオリオールを眺め回したが無言のままである。隻眼はやや困ったように肩をすくめた。
「…俺様を知っているわけか。しかもその金額がただごとじゃねえときた。あんたの名は?」
「オリオール・フルブライト」彼女はにっこりと、だが挑戦的に笑った。「どうでもいい話だけど、実はこのパブもそっちの倉庫も私の所有なのよね」
ヤンはハラハラしながらも、テーブルの端につつましく立っていた。そこへ、グラマーなウェイトレスがキミにおごりよと笑いながら飲み物を持ってきた。うすーいウーロンティに見えないこともない。
「ありがと」ヤンは消え入るような声で言って一口飲み、直後に思いきり咳き込んだ。
「ダメだよ、子供にテキーラ飲ませちゃ」 本を読んでいるファルコの仲間らしき男が、マントを寒そうに被り直しながら微笑んで言った。
「俺にはいつものね」
「はいはい、カシスソーダね。貴婦人が飲むようなグラスに持ってきてあげましょ」
隻眼のファルコは答えに困り、次のチップをどう置くかでも迷っていた。オリオールはこれを見て、チップでなくオーラム金貨を皮袋に一杯、どさりとテーブルに投げ出した。縛っていた麻紐が重みでちぎれて、チャラチャラとテーブルに金貨がこぼれる。これがその日銀行から引き出せた全額だと知っているヤンは緊張して足が震えた。
「ディーラー、チップ換算でゲームできるわね?」
「は、はい」
一同は談笑を止めて、場違いなほどの金貨の輝きに目を見張った。本を読んでいたマイペースの男も、傍に置かれたカシスソーダのグラスの向こうからこの勝負を眺めた。
オリオールは金貨の一枚を握り、視界の端に映る赤く美しいカクテルを見てから、「黒」にカタリと金貨を置いた。この賭けは番号ではなく、赤か黒かのふたつにひとつだ。
「黒が出たら船を出すこと、いいわね?」
「よし」
ルーレットが回る。ボールはカラカラと巡り、全員が注視する中、赤の枠にはまった。オリオールに肩入れしかけていた人々から小さく溜息が漏れた。だが、まるで気まぐれを起こしたかのように、ボールはコロリと黒の枠へ転がって……停止。
おおーっと後方から声が上がる。
「黒かよ!」
勝負の相手は驚いて立ちあがり叫んだ。
カシスソーダの男は、片隅で涙目になっているヤンが扇子を「パチリ」と閉じるのを見て、片方の眉を上げ、それから口元に笑みを浮かべた。
「見事にやられたじゃないか、マリノ」彼は本を片付け、ヤンの肩を軽く叩いてから気さくに言った。
「フルブライト家の令嬢は変わり者と噂だが、実際会うと噂以上だな。ともかく約束通り、船はこれから出そう。危険な航海だが君たち、覚悟はあるかい?……なんて聞くのも野暮か」
オリオールは彼を怪訝そうに見詰めたが、はたと気付いた。
「あなたがファルコ・ロッシ?」 「その通り。あんたと勝負したのは相棒のマリノだ。海賊というヤツは、むやみに顔を覚えられないために色々と小細工も必要でね。ついでに言うと鷹の形のアザは、腕じゃなくここにあるのさ――」
彼が肩にかけていたマントを外すと、右肩に、翼を広げた気高い猛禽の姿が表れた。細身で繊細そうな容貌に似合わず、筋肉は鍛え上げられ、戦いで受けたらしい傷跡も多い。オリオールとヤンに、少しおどけたように軽い会釈をして彼は立ちあがった。同時に、その場にいた彼の部下たち数人もさっと立ちあがる。どうやらその場にいたのは殆どがファルコの仲間だったようだ。
ファルコは彼らを見渡し、海賊の頭目らしい口調で命じた。
「出航するぞ、野郎ども!」―――
■ファルコ・ロッシについて:
ロッシという人物はSなちさん作「ブラック・ウルフ」内に登場するキャラクターであり、今回彼の息子としてファルコを創作しました。ダメ出しを強引に突破して好き勝手言ってるうちに、根負けして許可をくださったSなちさんには感謝とお詫びを。
尚、ブラックのフォルネウスとの遭遇を描いた「ブラック・ウルフ」は、Boatswain's cot様に展示されています。
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