夜の航海<1> 
バーニング・ブライヤー号の客たち
―トリオール海―

 オリオールとヤンがファルコ一行について隠れ桟橋から小船に移るころには、嵐はますます強まり、風で話もできないほどだった。小船は波をかきわけながら、ファルコの海賊船に近づいていく。船はやや小型だがマストが3本揃っており、中央にはさらに小型の2つの救援ボート、立派な操舵輪を備え、船体の両脇には幅広い、赤く塗られた鉄板がしっかりとうちつけられている。これは敵の砲弾に耐えるための、いわゆるアイアンサイドである。
 小船が接近したので縄梯子が降りてきた。ファルコは梯子を掴み、やすやすと飛び移った。
「客人2名追加だ、丁重に扱え!」
「アイ、サー!」中からの声も若く威勢がいい。明らかに年上なのは、船医だというあの眼光鋭いアルベロくらいなものだ。
 そして一行はそれほど時間をかけずに海賊船に乗り移った。
「これからピドナへ向けて出航する。嵐だが、それ以上に厄介なモンスターが待ち構えているだろう。下にいるやつらも叩き起こせ、いつでも砲撃するよう待ち構えとけ、ジャーヴィス、前を見張れ、フローレンス、コンパスから目を離すな。 ――マリノ、お客さんたちを船室へ」
 ファルコは一通り指示を与えてから、オリオールたちに向かって告げた。
「夜明け前にはピドナ沖に着くはずだ。ともかくも、わが真紅の恋人・バーニング・ブライヤー号にようこそ」
「どうも、よろしく…」
 ヤンはぺっこりと頭を下げた。オリオールはもっと高飛車に軽く肯いただけだった。雨は激しく、船の揺れも相当なものだったが、ファルコも仲間たちも平然と出航の支度を整え、嵐の夜だというのに船は早々に動き出した。本来はミュルス行きだったが、もっと深刻だというミュルス近海の嵐によるリブロフでの足止めと、それにオリオールの賭けと両方の理由で目的地を変えたのだった。
 船室に案内されたヤンとオリオールは、用意してくれた一室でしばらくくつろいだ。ヤンは退屈そうに、オリオールがマネキュアを塗りなおすのを眺めている。
「何事もなくピドナにつくといいね」
 そのとき誰かが部屋の外を乱暴に通過する足音が聞こえた。オリオールはふとウサギのように耳を澄まし、また指に意識を戻した。
「何事もなくか。……それだと6万オーラムはちょっと高いわね」
「う」ヤンは何とも言葉が見つからなかった。

 暫くして嵐が少しおさまったようだった。甲板まで様子を見にきたオリオールが、またすぐにひどくなった雨を避けて再び船室へ戻ろうとして、ふとファルコに尋ねた。
「さっき、追加だと言ってたけど、ほかにも誰かいるの?」
 ファルコは舵についていたが、そのまま答えた。
「耳ざといな。たしかに、グレートアーチからも一人乗せてる。父親のたっての頼み、といえば聞こえはいいが、あれは脅しの一種だったなあ」
 そう言って機嫌良く笑う。そうしてメインマストの上にある見張り台を見上げた。
「ジャーヴィス、サヴァはまだそこか? あれは渡したか?」
 赤毛の髭面な若者が顔を出した。
「渡しましたぜ、お頭。愛想もクソもなく断ろうとするから、これは親父さんから金を預かって、ファルコがリブロフで手に入れた品だと言ったら、しぶしぶ受け取って下の船室に着替えに行ったご様子だ。こんなにご機嫌に揺れてるのに見張り台から降りるのが嫌だったらしいよ」
 そう聞いてオリオールもメインマストの上を見上げた。びしゃびしゃと雨がかかり、左右に振り回されるように揺れている。空は真っ暗で時々稲光が走っている。ここに上って揺られていて一体何が見えるのだろう。見上げるだけでも気持ちが悪くなりそうで、彼女はふっと下を向いた。

「岩礁だ、キャプテン」舵に戻ってきて色白フローレンスが怒鳴った。ファルコは彼に舵を任せ、オリオールに船室に戻るように言い、自分は船首に向かう。
「落ちつけ、いつもの航路をゆっくりと進めば抜け道が現れる。それでも岩礁があるとすれば――」
 手下が目を凝らして彼方の波間を見るが、前方にはごつごつとした岩が続いているようにしか見えないと言った。ファルコは口元に挑戦的な笑みを浮かべて肯いた。
「それは敵モンスターの罠だ」
 ファルコは甲板下に戦闘準備の合図を送った。

「戦闘準備ーー! 防御配置につけー!」甲板下ではマリノがハンモックをかきわけながら走り回っていた。ひょこっとヤンが顔を出す。
「おい、気をつけろ、もうちっとで殴りつけるところだったぞ、チビ」
「あ、すいません。まだ出航してすぐなのに、モンスターですか」
「出航してすぐだからって見逃す連中じゃねえだろうよ。――砲撃準備。残りの奴はカンテラを甲板に持って行け――ま、客人はここでピドナ到着を待っててくれ」
「はい」
 ヤンは素直に肯いた。傍に来ていたオリオールがその耳を引っ張る。
「間違っても眠り込まないでよ、もしも沈没となったら面倒見きれないわ」
「縁起の悪いことを言うな! ったくこれだから船に女を乗せるのは嫌なんだよ」
 マリノは困ったように首を振った。
「私も女だけど数に入っていないみたいね?」
 背後から若い娘の声が響いた。オリオールとヤンも声の方を見る。狭い船室の奥に立っているくすんだ青色のドレスの娘は、カンテラが大きく揺れる微妙な明りの加減で顔立ちを際立たせ、短めのふわりとした髪が金色にも銀色にも輝き、白い肌はまさに真珠に似て息を呑む美しさである。
「元海賊の娘のサヴァです。皆様、はじめまして」彼女は多少楽しむように、うやうやしくドレスをつまみかがんで見せた。
 マリノは口をあんぐりとあけ、ヤンは耳まで赤くなった。オリオールは、予想とかけ離れた「もうひとりの客人」の容貌に、失礼なほど怪訝な顔をした。

「戦闘準備なんでしょ? 私も甲板に出るわ、マリノ」早速剣を選びはじめたサヴァは言った。
「待てサヴァ! その格好で戦うつもりかっ」
「あら、見た目より動きやすいのよ?それに着替える暇はないようだわ」
 アメジストの瞳は屈託なく笑ったあとに真剣になった。船が波を受けて大きく傾き、船室の柱がきしんだ。砲撃も始まり、船はそのたびに衝撃で揺れた。オリオールもヤンもマリノさえ傍の柱につかまったが、サヴァは身軽に階段を駆け登っていった。
「嵐だっていうのに元気ねえ」オリオールはヤンを引っ立てて階段を上りながら面倒臭そうに言った。

   ファルコは船首に立ち、長剣を抜き放って波間を睨んでいる。前方の暗い海は、カンテラの光に照らされてちらちらと輝き、海底の方から緩くドーン、という振動が伝わってきた。
「来るぞ……」
 ファルコが呟く。手下も武器を構えている。波間はすっと静まり返り、そして突然に泡立ち始めた。銀色の鱗が波間から飛びかかってきた。
「ニクシーの大群だ!」
 たちまち戦闘が始まった。ニクシーは甲板に悠々と飛びこみ、立っている水夫に体当たりし、手にした三叉矛で突き刺す。数人が足を刺されて転がった。
「ニクシーはもとは魚、単純な攻撃しかしてこないわ」
 臆した船乗りたちの前に進み出てサヴァは軽く言った。そして姿勢を低くして正面からの一撃をかわしざま、腹部に剣を突き立ててその体を甲板に叩きつけた。スッとその切っ先を抜き背を向けたとき、サヴァはわずかな返り血すら浴びていなかった。
 その見事な勝ち方を目の当たりにし、水夫らはときの声を上げて武器を振り上げた。

 舵を取るフローレンスは、油断したときに三叉矛が振り上げられ固まったが、その間にニクシーはぐにゃりと甲板に落ちた。
「フローレンス」剣を払ってファルコが命じる。「とりかじ一杯だ」
「イエス、サーッ」フローレンスは、床をずれてくるニクシーの死体をわざと踏みつけながら舵を勢い良く回した。ファルコは再び船首へと走る。
「揺れるぞ、足場に気をつけろ!」木槌を握ったマリノは、もたもたと甲板を移動するオリオールを見て言った。「おい、バカタレ、とっとと船室に引っ込――」

 バシッ。ドコッ。
 彼のすぐ背後でニクシーが2匹、目を回した。
「何か言った?」オリオールはわざとらしく手を払う。
 マリノはぶすっとした顔で言った。「別に何も。……ありがとよ」

 雨はますます激しく、雷鳴はますますとどろき、小さなバーニング・ブライヤー号は、波間で傾きながら左旋回した。海に落ちそうになってマストにしがみつくヤン。
「砲撃用意、撃て!」
 船は右半分をニクシーの群に向け、そこに隠されていた主砲が火を吹いた。多数のニクシーが爆風にとばされ、海面に落下していく。ニクシーが減ると心持ち風も穏やかになっていた。
ファルコはこの様子を見て言った。「今だ、帆を張れ!」
「アイ、サー」
 するすると3本マストに帆が上り、バフッと重い音を立てて広がった。途端に船は風を受けて加速されて、残るニクシーを振りきって走り出す。
「ケガ人はどうだ?」
「数人が軽傷。ほんのかすりだ」船医アルベロの声が下から聞こえた。同時に誰かの痛がる声も聞こえた。「わめくな、腕の骨くらい何本か折れても死にやしない」
 ファルコは甲板を船尾へと移動していく。
「…船に損害は?」
「ありません」
「岩礁は?」
「ありません」
「ジャーヴィス、何が見える?」
 猿顔のジャーヴィスは見張り台から呼ばわった。
「ニクシーの群は消えていきます。しかし……前方、西北西に何か…こっちに向かってくる影がある!」
 稲光と雨の中、ファルコは船首で望遠鏡を覗いた。黒く形の定まらない影が前方の海域に待ち構えている。ファルコは試しに船を迂回させたが、影は追尾してきた。
「一戦交えないと気がすまないわけだ」ファルコは呟き、帆を下ろして再度戦闘体勢をとるよう命令した。 

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