ピドナからの使者

ツヴァイクは夏でも陰鬱な空がひろがることがよくある。そしてそんな日には、石造りの宮殿の奥は耐え難いほど冷え切って、憂鬱なコーデルの気分を余計に圧迫した。
侍女たちは、コーデルは亡き父君によく似てきたと口々に言う。父は、というか両親は、妹とともに海底に眠っている。ロアーヌへ向かう船旅には3歳のコーデルも加わるはずだったが、馬から落ちて足を折ってしまい、ツヴァイクに残っていたのである。
モンスター襲撃は帰りの航路で起きた。巨大なクラーケンにひきずられた船は、温海の領域まで移動させられ、さらにそこでハリケーンにまきこまれてぼろぼろになって沈んだ。
コーデルは、自然とモンスターが相手ではやむをえないと、幼い頃から自分を納得させようと努めてきたつもりだ。ところが、 その航路ではかつて同じような事件があって、今はシノン男爵夫人であるロアーヌの姫君を乗せた船が座礁していたことを、コーデルは最近になって偶然知ってしまった。

祖父はツヴァイクの国力をみせつけるために、大した用もないのに危険なルートへ小回りのきかない豪奢な船を出させ、コーデルの家族をそのままモンスターの餌食にしたのだ。

甦ってきた怒りが、コーデルの体をほてらせた。
―だけど、こんな宮殿の奥でひきこもっていても仕方がない。
彼女は鏡に向かって独り言を言った。
黒いまき毛の、端正だが厳しい顔つきの娘がそこにいた。

「遠乗りにいってきます」
広間を早足で通過しながら、怒鳴るようにコーデルは言った。
ツヴァイク公は焦って玉座から落ちそうになる。
「コーデル、待ちなさい、今ピドナから使者がきてお前に用があるそうだ!」
「あとからうかがいますっ」

コーデルは祖父を振りかえってやりもせず、説得しようとついてくる家臣らをふりきって回廊に出た。しつこく来るとしてもまくのはたやすい。労せずして覚えた月術や何かで時間稼ぎをしておけばいいからである。
天気が回復に向かっているようだ。コーデルは慣れた手つきで長い黒髪を歩きながら束ね、誰もいない長い階段を、手すりに座って滑り降りた。
ストン!
乗馬ブーツが入り口ホールの絨毯に軽い音を立てる。その音に、出口にさしかかっていた何者かが振り返った。
きちんとした衣装と物腰からしてピドナあたりの使者らしい。まるで少女とみまごう作りの華奢な、だがどこか知的な感じの若者だった。

「・・これから遠乗りですか」
「だったら何か用なの?」
苛立った様子でコーデルは尋ねた。
使者ごときになれなれしく話しかけられるのは嫌いなのだ。しかも普通ならば無視するのに、なぜ返事をしたのだろう?
コーデルはおかしな自分にも苛立って、そのまま厩舎へと急いで出ようとした。
使者は後ろから声をかける。
「旧ファルスの異変をご存知のこととして申し上げます。ピドナとロアーヌは、探索と魔物討伐のために特別軍を編成しようとしているのです」
「それで?」
コーデルは振りかえると腰に手を当てて高慢そうにせせら笑った。
「あなたは、ツヴァイク公女であるわたくしに、卑しいゴブリン退治に参加せよというのですか?」

使者はひるむことなく、つかつかと近づいてくるなり逆に皮肉に微笑んで答えた。
「おや、あなたがコーデル様ですか?無謀な冒険を繰り返しては公爵への面当てにし、侍女が叱られると分かっていて無作法に階段の手すりを滑り降り、亡きご家族をさらに悲しませるような振舞いをなさるあなたが?」
「なん・・ですって!」
コーデルはかっとなり、鞭に手をやった。だが若者は続ける。
「愛するものを失ったのはあなただけではありません。今、開きつつあるゲートから出たモンスターのために、大切な誰かを失う者が日々増えているのです。大国ツヴァイクの公女ならば気まぐれな遠乗りはお控えになり、そのオールマイティな恵まれた能力を、どうか世界の危機のために使っていただきたい!… これは誓って下賎な宝捜しではありません。各地から集まる志願者の中には、例えばあなたもご存知のはずの、フェリックス・ノール様もおられます」
関心なさそうに沈んでいたコーデルの琥珀色の瞳が、そこで挑戦的に光った。
「フェリックスが来る?」
「ええ」使者は肯いた。
「彼とはね、御前試合で二度引き分け、一度はモンスターを相手にして助けられたことがあるのよ。…借りを返すいい機会かも知れないわ」
「彼も腕を上げているようです。勝てますか?」

コーデルは、自分に向かいニッコリした使者を見詰めた。対話だけでまんまと彼女を罠にはめ、しくじって当然の使者の任務をこなしてしまった若者を。

「あなたの名前を聞いていなかったわね」
使者に扮した確信犯は、丁寧な口調で答えた。
「オリバー・ベントと申します。お見知りおきを」

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