フェリックス・ノールは類稀な運動神経と自由な気質をもつ若者だった。正義漢の父と優しい母に可愛がられて何の不自由もなく育ったが、成長してからは諸国を旅し、さまざまな階級の人々ともなんの気負いもなくうちとけて知識を吸収することもできた。彼が通れば土砂降りも止み、牛の乳の出がよくなるとまで噂が立つ。彼は全ての人の友であり、恵み深き自然の申し子であった。
そして一方で、フェリックスはロアーヌ王を陛下ではなく「伯父上」と呼ぶようにと、ほかならぬミカエルに言われている。自分がいずれはロアーヌを継ぐことになるということをフェリックスはうすうす察しており、アカデミーでは厳しい剣の訓練や学問にも不平をいわずついていった。そのおかげで、18歳の若年とはいえロアーヌでは一目置かれる存在になっている。
今日、数ヶ月振りに旅から戻ったフェリックスは、伯父に挨拶するために王宮にきたのだった。
ロアーヌ王ミカエルは、王位に就いた後、結局妃を娶らなかった。そして妹の息子を自分の息子のように大事にして満足そうにしている。 だが、フェリックスが見るミカエルは、大災厄で負傷した足が思うように動かず、かつてアビスへと突入した冒険者の面影はなかった。疲れて、希望を忘れ、仲間と楽しげに語り合うこともなく、ひっそりと政務をこなしているだけの覇気のない王・・それが現実のミカエル・アウスバッハ・フォン・ロアーヌだった。
「フェリックス、よく来たな」
「その後足の具合はいかがですか、伯父上」 ミカエルは優しく微笑した。
「ありがとう。いつもと変わらない」
「・・いい天気です。日向に出られたらいかがですか?」
ミカエルは肯いた。
「この夏でまた背が伸びたな」
「はい」
フェリックスは先に立って、開いたテラスから外に出た。しんとしていて、風のない低い空をアゲハがゆったりと舞っている。
母親似の輝く金髪を無造作にカットした若者は、体力的にも、また人としても、旅に出ていたこの数ヶ月で格段に成長していた。
ミカエルは意を決して声をかけた。
「フェリックス」
「はい、伯父上」 「昨日、ピドナからとある知らせがあった」
フェリックスはじっと注意してミカエルを見上げた。
「ゲート付近に再び怪しい動きがあることは知っていよう。周辺各国は警戒している。ゲートの封印のためにロアーヌでも冒険者を募集してはいるが、彼らを率いる何人かのリーダーの役はそれなりの実力のある者に、とシャール卿も私も思っている。…かねてからゲート周辺を探索したいと申していたであろう。どうだ、行って見るか?」
「はい!」
フェリックスは嬉しそうに即答した。
「お許しいただきありがとうございます」
「うむ。戻ってきてすぐだがよろしく頼むぞ。ところでフェリックス、ひとつだけ聞かせてくれ。ゲートに行きたかったのは、さらなる冒険で戦功を挙げたいからか、それとも好奇心のためなのか・・」
フェリックスは一瞬躊躇った。だが嘘のつけない性格の彼は、とうとう言った。
「20年前の災厄の夜に、あとかたもなく消えたといわれるカタリナ様を探したいのです。伯父上はその方を手放したことを今でも悔やみ、そして、その方の死を信じておられない。ですから」
思いがけない答えに、ミカエルは言葉を失った。
しかし、ややあって、
フェリックスは父親譲りの屈託のない笑顔になって、こう付け加えることを怖れなかった。
「私がお連れしたいと存じます」
ミカエルはただ黙って肯いた。フェリックスもそれ以上は、この「理由」についてくどくど説明することはしなかった。 しかし、20年というミカエルの暗い年月に、なにか柔らかな新しい光が差し込んでいたのは確かだった。その戦いがいかに絶望的に見えようと突入を宣言する強さを、ロアーヌという国は久しくどこかへ置き忘れていたのである。
存在そのものが人々の希望であり幸福であるフェリックスは、両親に見送られ、学友に羨ましがられながら、清々しい朝の光の中でロアーヌを発っていった。
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