Flying high


振りかえると、馬を連れ戻った村の男の姿はもう遠くにかすんでいた。目の前は霧に覆われ、赤黒い土の道が、静けさの底に沈んでいる。トゥルカスは、背中の大剣がひっかからないように、大柄の体を軽くかがめて、ためらうことなく目の前の道を進んだ。
 なぜか、いるはずのグリフォンの姿がなかった。さっき、一度出会っただけ・・・彼は剣を抜きもしなかったのだ。しかしそれよりも、馬をつぶさずにすんだことが彼をほっとさせていた。ピドナから数えれば、二昼夜を走りつづけて、乗り継いだ三頭がばててしまった。どれも頑健な馬を選んだつもりだったのだが。

長く続いた赤黒い道はふと、ツタに覆われたメドウに交差した。ここまで早足で来たトゥルカスは立ち止まり、顔をあげて、場違いなほどすがすがしい日の光に手をかざした。だが、この先に本当に伝説の竜がいるのだろうか。いたとして、頼みを聞く耳を持っていなければどうすればいいだろうか?
そんなことも頭によぎった。伝説の竜と戦いに来たわけではないのだ。それならばもっと気楽で、闘志だけに満ち、馬を疲れさせなくてものんびり歩いて出向いていただろう。

メドウをぐいぐいとブーツが踏んでいく。柱状の灰色をした石が、まるで古代の王が命じて造らせたように、精巧な半円を描く洞窟が現れた。入り口で中を覗きこむと、中から風なのか、唸り声かわからない、山全体に響く音が聞こえた。
中はさきほどまでの道よりも遥かに広いが、途中に柔らかな流れの滝があった。トゥルカスは、岩肌に咲く、珍しい蘭の美しさに目を見張り、本当にここに伝説の竜が住むのかますます疑いをつのらせていった。
風が唸り声のように響きつづけている。彼は、ともかくも最深部まで岩をよじのぼって進み、そうしてついに、灰色の石窟の中にとぐろを巻くように座っている、黒曜石の色に光る巨体にたどり着いた。
その体はもう長いこと、この洞窟を出ていないに違いない。風雨で洞窟の周囲の岩のほうが変形して、居住者の大きさに合う出口がなくなっているのだ。トゥルカスはグウェインの途方もない大きさにあらためて驚いた。

「小うるさい虫か。何しに来た」
地の底から聞こえるような声が発せられた。
トゥルカスは全く臆せず、巨竜が人語を解することを知って、期待に目を輝かせた。
「虫とはご挨拶だな、グウェイン。オレはピドナから来たトゥルカス・クラウディウスってもんだ。お前とやりあう気はない。ただ、ピドナの住民を助けてやって欲しいんだ」

巨竜は眼を片側だけ開いて、寝たまま若い戦士を見詰めた。
「・・この俺が、ピドナくんだりまで出向いて、虫どもの争いに手を貸すとでも思うか」
「人間同士の争いになら、オレだってドラゴンの力は意地でも借りないさ。だが今回はそんなもんじゃない。ピドナ旧市街から、生き物の頭をおかしくするガスが出始めているんだ。厄介なことに、それを吸うのは家畜や住民だけと限らない。旧ファルスのゲートを閉めるために義勇軍が山ほどピドナに集まってきているからだ。そいつらがガスを吸ったら狂暴化して、味方同志の殺戮が始まることは目に見えている」
トゥルカスはここで息を継いだ。グウェインは、黙って聞いている。
「オレは、旧市街のみんなも、わざわざ来てくれた義勇兵も、ガスでおかしくなったからって斬りたくはない。今は兄が住民を避難させているが、間に合うかどうか知れないから、オレが、ここまで頼みにきてみたんだ」

「それで、俺にどうしろと言うのだ?そして望み通りに働いてやったら、お前は俺にどうしてくれようというのだ?」
その声はまるで自問自答しているようだった。
トゥルカスは即答した。
「ブレスのひと吐きで、ガスの出る地層を吹き飛ばして貰いたい。そんなことが一発でできるのはお前だけだと聞いている。もしやってくれたら・・オレ、何も持ってないか。じゃあ」
彼は持ち物をスッスッと触ったが、すぐに肩をすくめて、それから堂々と言った。
「オレを食うといい」

竜の両眼がかっと開いた。
そして巨大な首を持ち上げ、牙をむき出した口でトゥルカスに勢い良く迫ってきた。トゥルカスには大きな歯の位置だの舌の形だのが丸見えで、自分はもう口の中に入ったと思った。ところが、グウェインは直前でその顔を引っ込め、いかにも不服そうに言った。
「よけないのか。よほどの間抜けか、お前は」
「前払いかと思っただけだ」 トゥルカスは全く動じず、真面目くさって答えた。

「誰が人間なんぞ食うか、阿呆」
グウェインは再度、不服そうに言った。そして、こらえきれないように突然笑い出した。
その声は洞窟全体を揺るがし、ルーブ山を動かしかねないと思われるほどの哄笑だった。トゥルカスもさすがに少しだけ後ずさったが、おさまったときにはもう微笑みを浮かべていた。
「・・・もう気がすんだろ?助けてくれるのか、くれないのか、答えてくれ」
グウェインはとぐろを巻いていた尾を伸ばし、完全に立ち上がって、トゥルカスを見下ろした。
「ひとつ、聞こう。小僧、お前、ここへ来るまでにグリフォンに遭わなかったか」
「遭った」
「倒したのか?」
「いや。『グウェインに会いたいから通してくれ』と言ったら、黙って飛んでいった」

グウェインはまた笑った。そして顎で合図した。
「さっさと乗れ」
トゥルカスはすぐに竜の頭に飛び乗った。
そこでグウェインは一度強烈に咆哮し、それから石窟の壁を振動だけで破壊し、洞窟の屋根にはブレスで大穴をあけた。ガラガラと柱状の石が崩れ落ち、その間から巨大な黒い翼が、数十年ぶりに太陽の光をあびて姿を現していく。山が揺れ、森がざわめき、ふもとを流れる川が逆流した。そのさまはまるで、大地そのものが、天空の王の再来を喜びひれ伏しているかのようだった。

紺碧の空が急に広がり、ゆりかごのように揺れたと思ったら、もうトゥルカスを乗せた竜はルーブ山の頂を遠く離れていた。すでに海の上である。
空の高いところにある絹のようにたなびく雲を、竜はピドナに向かって一直線に突っ切った。トゥルカスの長い金髪が容赦なく風にたなびく。強風で目をあけているのが辛いが、彼は、急いで目的地を示さねばならなかった。
海を過ぎ、甘い緑色に輝く牧草地を過ぎると、早々と広い耕作地が見えてきたのだ。ヤヴァンナ=ケメンターリ、メッサーナが世界に誇る、小麦の一大産地である。
「あれは姉がやってる大事な農場だ。みんなあそこへ避難している」
「よし、ぶっ飛ばす地層を教えろ」
グウェインはそこで一度羽ばたき、速度を調節したらしかった。
トゥルカスは旧市街に通じる土手の端を示した。そこはもう立ち入り禁止になっていて人はいない。だが、人家に近い、灰色になって水の枯れた川から、薬のような臭いのするガスが細々と吹き出しているのが見えた。
「あそこだ、グウェイン!」
グウェインは肯き、急降下していった。そして土手の中央から端までを標的に捉えて、ブレスの直撃弾を数回浴びせた。衝撃で、すさまじい揺れがピドナ一帯に及んだ。
トゥルカスは土煙の向こうでなにがどうなったか見るためにさっと振りかえった。

今や土手の地層は跡形もない。そしてガスは止っているだけでなく、川がショックでV字に削られ、清水が湧き出していた。
「うまくいった!礼を言うぞ、グウェイン!」
トゥルカスは竜の頭上で叫んだ。
「ははは、わけなかったな。さあて」

「おい、オレを降ろしてくれてもいいんだぞ?」
遠ざかっていくピドナを見て、トゥルカスは聞いた。ドラゴンとともに去る彼を見て、出てきた人々が心配し騒いでいるのが見える。だが、こんな高さからではさすがに飛び降りるわけにも行かなかった。
「おい、降ろさない気か?」
「ふん、たったこれっぽっちの距離では散歩にもならん」
グウェインは愉快そうに言ってふわりと上昇した。
「もっと付き合えってか。望むところだ!」
トゥルカスは満面の笑顔になった。グウェインには見えなかったはずだが、弾んだ声でそれがはっきりとわかったのだろう。竜は低空で港の人々をわざと驚かせ、自分も機嫌よく声をあげた。再び高く舞いあがると、今度はトリオール海をこえて、彼方にナジュ砂漠が見えてくる。
「空が青いじゃないか、小僧!」伝説の竜は滑空しながら怒鳴るように言った。
「ああ、青いさ!」トゥルカスは、つき抜けていく風の中で、負けずにそう答えた。



初出:2004/09/30@sullen loannee
*アリエンの一つ上の兄トゥルカスを書きたかったので、グウェインと組ませました。豪快で無欲なところがお気に入りです。
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